一流と二流の差は
誰でもそれぞれ、自分なりの理屈を持っている。
あるいは、拘りと呼べるかもしれない。
それも自分の枠であり壁である。
それは他人にとっては何の正当性も、客観性も無いように見えても、本人にとっては正当であり、客観性を持つものである。
故に破れない壁なのだ。
この辺りが人の不思議なところだ。
その自分の理屈や拘りを壊してしまうのは快感以外の何物でもない。
それは、自分自身からの自立や成長にほかならないからだ。
ただ、その自分なりの理屈や拘りに、自分自身では気付きにくい。
余程、自分を観察してくれる他人がいなければ、そこを指摘されることも無い。
もしくは、自分自身を見つめる目を持ち、自分の行動からじっくりと振り返るということが出来なければ、気付くことは無い。
その意味で、自分が自分の枠を超えるには、他人が必要なのだ。
しかも、観察力の鋭い他人でなければならない。
そういった事を要求するのが、「武禅」や、教室、ワークショップだ。
どうしてそれが必要なのかというと、身体運動にしろ、表現にしろ、それらを行う自分自身の壁や枠が、自分の理想や夢を壊すからである。
アスリートを始め、ミュージシャンやアーチストの友人や知人を見ていると、一流と二流の差がここに有ることが分かる。
頭が柔らかい人は一流だと言っても過言ではない。
もちろん、技術のレベル差もあるのだが、それは、根本的にこの差や違いが決定しているのであって、技術習得の上手下手ではないのだ。
そういった事を知る、あるいは、気付くのが私のワークショップだ。
だから、私のワークショップを楽しいと思う人と、楽しくないと思う人と両極端だ。
そして、意味が分からない、と思う人と、意味を見つけ出す人と、これまた両極端だ。
10年間続いているワークショップを振り返って見て、私の意図を汲んでくれる人が集まりだしていることを肌で感じる。
「意味が分からん」とサジを投げる人、つまり、当初一回しか参加しない人が大半だったが、ここ数年を見てみると、真剣に自分に取り組んでくれる人が確かに増えている。
それが地方のワークショップの熱さになっているのだと分かる。
東京ワークショップは、9月16日~20日です。