汗と涙を流しているか
今から沖縄へ出発。
道場は「どれだけ降ったら気がすむんや」と、ボケたことを思うくらい雨が続いている。
「武禅」はまだ続いており、全員のレポートを読み返し、アドバイスを書くまで終わらない。
レポートを読むことで、その状況や書いた人の取り組み方が浮かんでくる。
「本気か」ここを言語化するのは難しい。
強いて言えば「自意識を揺るがしているか」だろうし、「汗と涙を流しているか」だろうか。
あるいは、「目が輝いているか」になるか。
そうは言っても、そこに王手をかけられる人は決まっているのではないか、と思うこともある。
今回の受講者の若者の一人は、自意識が溢れていた。
自意識過剰というやつだ。
それだけに感受性も強く、文字通り「涙も鼻水も」流して自分に思い切り挑戦していた。
自分に挑戦する。
そのことが「自分と向き合う」ということである。
しかし、自分の外の世界に挑戦することで、満足することではない。
自分の自意識に向き合うことで、その自意識を成長させることだ。
それが自分の成長を止めているからだ。
ということに気付き、挑戦するという人は、そう多くは無いのではないかと思う。
「武禅」に来る多くの人は、このことに私のwebから気付き受講してくれる。
それでも大きな勘違いをしている人もいる。
「理解しようとする」人達だ。
そういった人達の多くは、一回参加で終わる。
あるいは、自意識に向き合う危険性、怖さを感じ取り一回で終わる。
圧倒的にこういったタイプの人が多い。
それを考えると、「そう多くは無い」ということになるのだ。
知識や理解で自分を動かす事は出来ない。
もっと言えば「気付き」でも自分を動かす事は出来ない。
もちろん、動かす動機にはなる。
気付いて決意し、目標を作り1つずつ取り組んでいく。
自分を躾直すのだから、大変なのだ。
今回も、そのことに気付き切羽詰まってくれた人が出た。
しかし、人は何時、どのタイミングでそういった変化、あるいは成長するのかは予測不可能だ。
何が功を奏すのかも分からない。
その意味で、決まったカリキュラムだが、その都度その都度変化させる。
怒鳴ることもある。大笑いすることもある。
感動で涙が溢れることもある。
感情が人を揺さぶるからだ。
しかし、感動的な舞台を見た、映画を見た、歌を聴いた、良い話が聴けた、と同じで終わる人も少なくない。
そんな人は回遊魚の如く、様々なセミナーや講演会を彷徨っている。
もちろん、そういった人も受講してくれる。
それぞれがそれぞれに適した場所や仲間がいるし出来る。
どこが一番自分に厳しい場なのか、仲間なのか。
その選び方が自分を決定していくのだ。