自分のレベルを知ること

昨日の職場での「いじめ」や「嫌がらせ」だが、言葉だけを取り出せば、いじめる人、嫌がらせをする人が間違っているとなる。
もちろん、そうだ。
というより、昨日も書いたように、その人達は自意識が幼いが故に取る行動だ。
自意識が幼いというのは、自分が常に正しいとする、自分の主観だけしか定規を持たない人だ。
もちろん、これも間違ってはない。
但し、「自分の世界の中だけでは」という但し書きが必要だが。
その幼い人の主張が通らない時に爆発する。
爆発するのは、辛抱とか我慢するという、理性の働きが弱いからだ。
そして、常に自分が肯定されて生きて来たからだ。
それは不幸としか言いようがないが。
その爆発が、行動的なものか陰湿なものかは、その人の性格や人柄が決定する。
しかし、何れにしても私達は集団生活を余儀なくされているし、そうでなければ生きて行けないのだ。
つまり、そこには常に関係という代物が有り、その代物は無意識的な反応関係でもあるのだ。
いわゆる「こいつ虫が好かん奴だな」と言うように、大した根拠はないが、何故か嫌い、うっとおしい、というのも出てくるのが関係なのだ。
昨日の彼は、ここに入る。
しかし、そういう風に思われないようにと生きる必要などこれっぽっちもいらない。
例えば、自分がお菓子を作ったとしよう。
それを友達に試食してもらったら「まずい」と言われた。
自分で試食したら「美味しい」と感じた。
それが人の違いだ。
では、ここでどうするか、だ。
自分の美味しいを貫くのか、まずいと言われた原因は何なのかを探るのか。
もう一つある。
友達の言う「まずい」は分かった、では「美味しい」というのは、どんなお菓子の味なのかを知ることだ。
つまり、他人が美味しいというものを知るのだ。
その事で、自分の言う「美味しい」のレベルを計ることだ。
これには相当時間がかかる。
だから、大方の人はこの方向へは行かない。
きっと、お菓子を作った事も、友達にまずいと言われたことも忘れてしまうのだ。
だから永遠に繰り返されるのだ。
とにかく自分を曲げる必要など一切ない。
あるのは、自分を成長させることだけだ。

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