バレンシアの最後
残すところ、夜の一コマになってしまった。
今日の朝は最後だからと、型の一つを取り出して全身運動を確認するための動きだと説明し、それに取り組んでもらった。
今回バレンシアで初めて受講してくれている人の一人に、イスラムの青年がいる。
もちろん、彼に限らないが身体を分解し説明を求める人が多くおり、この青年もこの一人だ。
そんな人には「じゃあ、それをやってみせて」ということにしている。
また、そういった分解的な身体構成を説明し、さも身体を理解している如く先生方もいる。
もちろん、その場合も「本当にそうしているのですか?」と呟く。
解剖学者じゃあるまいし、そこを詳しく知って何になるのか?私にはとんと理解できない。
そのことよりも、自分が目指す動きや成果を出す為に、どうすべきかを考えるべきだ。
その結果、身体の分解だというのなら、それで成長は終わりだ。
自分が考えるべき頭を信じなくてどうするのだろう。
運足で大切な後ろ足の緩み。
それを今日の朝もやったが、ルノさんという空手家は、驚くほど緩んでいた。
そして、当然の事として運足が出来ている。
後ろ足は連られて動く、を体現しているのだ。
「どうしてそれが出来たのか?」と問うと練習の仕方を見せてくれた。
「成程」である。
自分の頭で考えるとはそういうことだ。
股関節を緩め、膝を緩めと先ほどのイスラムの青年に言う。
青年は「Yes」と答える。
しかし出来ない。
「出来ないし分からないのに、どうしてYesというのだ」
というと、混乱した目をして「分からない」と答える。
出来ないことをいくら続けても出来ない。
出来るように考えなければ、そして考えたことを試していかなければできるようにはならないし、稽古とはその側面も持つのだ。
イスラムの青年はいたずらに自分の身体のパーツに手をやり、感覚している風なことをやっている。
その意味でのパーツの意味はない。
どうも、動きや身体を甘く見ているようだ。
それはそうとバレンシアのバカンスは今日からだそうだ。
通りにはパレードがあり、花火が鳴っている。
だから、航空券が取れにくかったのだ。