バレンシア2日目
昨晩は、2年前に行ったタパスで3つ星を持っているレストランで食事だった。
8人でワイン3本2時間はこちらでは普通なのだろう。
タパスは全部美味しいが、それ以上にパンが美味しかった。
パン好きにはたまらない味だ。
たらふく食べて飲んで、一人27ユーロは安い。
稽古は腕に連れられて身体が動く、つまり、手が先に動き体重が移動することだ。
手を先に、といくら注意しても大方は、どうすればその事を自分が実感、あるいは、体感できるか、という考えにはいかない。
大方は、「わかりました」となり、手が先に行っているのか、体重とほぼ同じで動いているのか、体重の方が先に動いているのかを分からずに、「出来ない」と言いながら時間を消化させる。
「どうすれば」という疑問を持つ人と持たない人、ここにどんな差があるのかは分からないが、自分が何をしているのかを分からなくて「何か」をやっているだけだ。
しかし、逆に考えると、そんな曖昧な中で武道の「技」と言っているのだから、そして段位があることに、それこそ疑問を持つ。
一体何が上位なのだろうか。
外国では、そんな話を直球で投げる。
熱心な人たちは、そのことを理解しているからたとえば、「今までの30数年は何だったのか」と大きくため息をつく。
同時に、慎重に取り組んでくれる。
もちろん、それが自分の為だからである。
身体を動かす時、どこをどう、というを明確にしなければ、何を練習しているのか迷子状態だ。
今日は、朝からそんな話をしよう。
と思ったが、会場へ行くと隣では、スペインの警官のセミナー行われており、結構にぎやかしい。
だから、感覚の線を作ることに専念した。
始まってすぐに、昨日の股関節悪い人が来た。
詳しく聞くと、骨盤(だと思う)が悪く(どう悪いのはわからない)て、他の部位のセルを移植しそれで治療をするようだ。
二、三歩歩いてもらい、即座に胸骨操作を指導し、再び歩いてもらう。
すると、その人の顔色が変わった。
もう少し歩いてもらい、数か所を指先で感じ取る。
もう一度歩いて貰ったら、その人は涙目になっていた。
補助器具なしに歩けたこと。
将来は治るであろうことを感じ取ったからだ。
「ありがとう、人生が変わりました」と喜んでくれた。
それを見ていたレオさんや、受講者の人は目を丸くしていた。
昨日の稽古を見学していて、軽々と歩いている私の姿を見て、もしかしたら治るヒントを教えてもらえるかもしれないと思い、レオさんにお願いしたそうだ。
何でもプロボクサーだったという。
その目で私の稽古をする姿を見ていたのだろう。
でないと、軽々と歩いているとは見えるはずもないからだ。
色々な感覚の線作りをし、最後は仰向けに寝たところへ、肘で胸部を押さえ込まれる。
それを逆に身体の感覚でひっくり返すというのをした。
みんな目を点にしながら、迷子になりながらも取り組んでいた。