一人で頑張れよ
自分と同年齢、あるいは下の年齢の者とつるむのは、過去に留まることに他ならない。
そういう自分に違和感を感じないのは、幼少時代、少年少女時代に、年齢制限無く「遊ぶ」という体験が少ない、あるいは無い事に起因する。
この年令無制限という体験は、自分が他人に通用しない事を知り、通用させるには?という智慧を育むのだ。
そして、「場」という秩序や、そこでどうするか、を無意識の内に刷り込まれるのである。
もちろん、それらを認識しない者は年齢が上の人から叱られる。
そして泣く。
憤る。
それらの事が、社会性を育て精神を成長させるのは言うまでも無い。
もちろん、その中にも感情が育つ事が含まれる。
ワークショップでは、色々な若い人とであう。
そこで何時も言うのは、自分を肯定してくれる人間とは付き合うな、同年輩とは付き合うなだ。自分が通用する世界、通用する人とは付き合うなだ。
つまり、自分の居心地を悪くしろ、ということだ。
その事が、自分自身の生きる智慧を育むからだ。
誰しも居心地が悪いのは嫌だ。
人は快を求めて不快を避ける。
だから、心地良い方向に、あるいは楽な方向に動く。
それは人の仕組みだから仕方がない。
要は、その「快」を自分でどう決めるかなのだ。
自然成長的な快を求めるのであれば、絶対に不快なことをしない。
しかし、不快なこと、つまり、ストレスの掛かる場やストレスの掛かる関係を乗り越えることを「快」だと自分が決めれば、そして、それが喜びだと感じるようにすれば、確実に精神は成長する。
普通に生きれば長生きする筈の人生だ。
そこには、同年輩とつるんでいられる心地良さで甘やかされた自分は、折れるようなことばかりがある。
それは、社会は年齢無制限、職種無制限、人生体験無制限という世界だからだ。
だから、常に自分を成長させておかなければ、自分の行動半径は狭まるばかりなのだ。
頑張れ若者!