今週末は福岡

何かしらの技があるとする。
例えば、柔道の背負投だとする。
その背負投は◯◯という原理で出来ている、と誰かの見解がある。
もちろん、私もきっとこうだろう、という見解を持つ。
見解は多種多様にあるし、そのどれもが正しい。
ただ、切り口というか視点が異なるだけだ。
問題は、そのどれもが正しいというところにある。
確かに正しいが、どれもが絶対ではないことだ。
この絶対ではない、というのは、常にそれが成立する為の条件がそこに存在するからだ。
例えば、先生と生徒という関係性、あるいは、体格差、腕力差、力の入れ具合、受けの取り方、数え上げたらきりが無い。
そんな事を考えられる人、体感できる人でないと、「技」という稽古は出来ないし、普遍性のある動きに辿り着くことはない。
海外のワークショップでも良く注意をするのは、組んだ相手の人と競技をしているのではない、あるいは、力比べをしているのではない、というような事だ。
競技をしているつもりではなくても、どうしても負けまいとしたり、勝とうとする。
「今組んでいる相手の人を負かしたところで、どんな意味があるのですか、それがあなたは強いということなのですか」とよく話す。
自分自身を客観的に見つめ、自分自身のやっていることを客観的に見つめ、自分自身を技化していく、それが稽古であり目的だ。
最近の海外は、そういった事が浸透し、素直に稽古をしてくれる人が増えているのが嬉しい。
今週末から福岡でのワークショップだ。
「からだ」や「関係性」に興味を持ってくれる人が集まり、ワークをするのは楽しい。
しかし、パリやブリュッセルには年に3回か4回は行くことと比べると、年に1回というのは寂しい気もするが、余裕の無い日本ではそんなものかも知れない。

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