知らない間に
来月は夏の「武禅」だ。
今回はフィンランドの舞台で活躍する武田さんも参加する。
武田さんは一方で歌手でもある。
一昨年20数カ国のプロ・アマ混合のコンテストがあり、そこで優勝をさらってしまったのだ。
それがキッカケでCDデビューし、歌手活動も始まったものだ。
しかし、だからと言って「声が届けられる」のではない。
もちろん、初心者レベルの「声を届ける」はクリアしている。
ここは際限なく深い。
つまり、「出来ました」はないのだ。
私自身も「武禅」をやる度に進化しているのが分かる。
だから「武禅」の基準は、どんどん高くなっているということでもある。
それは参加者全員に言えることだ。
毎回参加している人は、毎回「あかんな」と思う。
しかし、それは自分に対する評価であって、客観的評価ではない。
自分がどうして「あかんな」と思うのかというと、自分を見る目や、例えば「声を届ける」事自体が、どんどん深まってくるし、相手の反応も良く見えるようになるからだ。
つまり、永久に進化するから
「出来た」になることはないのだ。
もちろん、日常生活では「あかんな」ではない。
自分では知らない間に、会話がスムーズになっていたり、他人が自分に対して声をかけて来る割合が増えたりと、関係性が良くなっていっているのだ。
この「知らない間に」というのがミソだ。
一般的には、どんなことでも手応えがあることに満足をする。
それは単に「自分が」やった、つまり、完全な自己満足であり、手応えがあるがゆえに、実際には出来ていない事が多いのだ。
上手く行くときは、どんなことでも手応えが無いのだ。
人との関係では、手応えがある時というのは、相手が違和感を持っているのが普通だ。
しかし、日常ではその事を相手に検証しないし、確かめても他人は本当の事は言わないから、まず分からないだけなのだ。
他人は決して本当の事は言ってくれない。
それが普通だ。
誰しも嫌われたくない病にかかっているからだし、面倒だからだ。
現在のところ、今回の「武禅」では新しい人が多くいる。
ということは、常連の人達にとって格好の稽古になる。
「何が分かって、何が分かっていなかったか」
そういう具合に「場」と共に稽古が変化するのが「武禅」である。
参加希望の方、残り僅かです。