素直な子供の瞳が

演武会を終えて、クリスチャン達と打ち上げにいった。
イタリアのビールが一汗かいた後には、絶妙の喉越しだ。
四方山話の後、彼等に私のワークショップを初めて受けた時の感想を聞いてみた。
クリスチャンは空手歴35年だ。
見るからに強いし、それは身体能力に裏打ちされている。
仕事柄、その事も大いに役立っている筈だ。
テロに対して向かっていかなければならない仕事だ。
私のワークを受けて、自分自身の可能性がまだある事を知ると共に、日本の武道に驚いたという。
全く逆のことをやっていたと感じたとも。
ワークでは、よく彼の相手をする。それは私自身の勉強になるからだ。
本気で攻めて、というと、本当に攻めてくれるからだ。
また、その事が彼が、私のワークから可能性を認める事になったのだ。
私のワークを稽古して、その後、徹底的に考え自分の身体に染み込ませるといった。
これは、今までに聞いたことが無い言葉だ。
考えては駄目だけど考えなければ駄目だ。
この事は彼には話していないのだが、彼は気付いており実践しているのだ。
ルノーさんは、成長するとはどういうことか、という実際をワークで出来る事、同じように考えなければどうにもならない事が、私のワークの最大の良い所だと言う。
こういった話が出来る人が海外にいる、ということが、私にとっては財産だ。
「ところで、日野は何時からフランスに住むのだ」と「住むのは簡単なのだが、問題は通訳だ。ここがネックになっていて踏み切れないところだ。早く日本語を覚えろ」と笑い合う。
こういった素晴らしい時間は、何もかもが融け合っている感じがする。
このクリスチャンの子供達は、本当に可愛い。
外国人だから、ということではなく、子供らしい子供だということだ。
お姉ちゃんは6歳、弟は3歳でもうすぐ4歳になるという。
弟はとにかく行動的で、始終走り回っている。
一人で芝居を作りながら、まるで子犬のように走り回る。
お母さんは大変だ。
その姿を見ていて、昔の日本を思い出した。
もちろん、昔といっても私が子供の頃の昭和30年代だ。
母親や近所のおばさん達が、走り回っている子供たちに「それをやったらあかんで!」と始終怒鳴っていた頃だ。
ものを投げては駄目、汚い言葉を使っては駄目、人を叩いてはいけない等々、ただ現在と違うのは、本当に危ないことしか止めないところだ。
だから、体感的に本当に危ないことを知るのだ。
現在のように条例や法律が守るのではなく、自分自身が自分を守れるのだ。
クリスチャンの奥さんも、まるっきりこれだ。
だから、子供たちは素直にスクスクと育っている。
親を信頼しきっているのがよく分かる。
子供は、親がブレなければ、つまり、気分で生きているのでは無く、気分で叱るのではなければ、心身共に安定し親を信頼する。
クリスチャンの子供達はワークショップの会場に来ても、決して自由に走り回らない。
奇声を発しない、叱られても金切り声を上げて逆らうことはしない。
公私のけじめが付けられているということだ。
ここが躾の一番大事なところでもある。
何故なら、子供は子供ではなく社会人として社会に出るのだからだ。
この子供の好奇心溢れる素直な瞳が、私の疲れを癒してくれた。

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