からだは一つ
「からだ」という所に辿り着くまでに20年を要した。
もちろん、武道は身体を動かすものだから、運動という意味では常に身体と向き合って来た。
しかし、運動という捉え方だけでは解決できない事が沢山見えてきた。
それは、俗にいう精神だか気持ちとか、丹田や腰、あるいは意識とか無意識、あるいは、反射、反応といったものだ。
それらを運動と切り離して考える事のおかしさ。
「私」といった時に、指している「わたし」は、身体を含めた全人格であり、意識の働き無意識的な働き全てを指している筈である。
といったところから、改めて、では武道とは、身体とは、身体運動とは、と問題が、私として一段階成長したのだ。
それが「からだ」であり、そこに辿り着くのに20年を要したということだ。
運動そのものも大事なのだが、それ以上に大事なことがあり、それが運動に影響を与える。
その当たり前の事を抜きにして、運動だけを捉えているのはおかしいのだ。
しかし、その当たり前のことは、大方が自然成長的に成長するものだとしている。
あるいは、場数なり根性なりが乗り越える鍵のように捉えられている。
昨今では「メンタルトレーニング」という、運動とは別に訓練する場合もある。
それは、心理学という学問が発達していることで、導入されて来ているのだ。
しかし、人はそのように運動と心理というように、バラバラに捉えられるものではない。
机の上ではバラバラに出来ても、実際はからだは一つである。