自分を知るのは難しい
私は身体が小さい。
その変わり俗にいうすばしっこかった。
すばしっこいということを知ったのは、20代に入ってからだ。
実際にすばしっこさを発揮し、体操競技をやっていた時、喧嘩の逃げ足が速かった時には、そんなことを考えられなかった。
他人が「日野はすばしっこい」と言うから、自分はすばしっこいのかな、と頭をかすめていた程度の認識だった。
20代に入りジャズドラムをするようになり、どうすれば自分よりも5年、あるいは10年程先にジャズを演り始めた人達に追い付くか、そして追い抜けるかを一番最初に考えた。
その時に身体運動としてのドラミングの操作を考えた。
そうすることで初めて自分自身の運動能力を再確認しようとし、自分を振り返りすばしっこいと気付いたのだ。
では、すばしっこいというのはどんなことなのか。
自分を一つのモデルとして分析していったのだ。
結果、ある程度自分の身体運動能力を知っていったのだ。
自分の事を知るのは中々難しい。
それを知るには「他人との比較」と「他人からの言葉」が役に立つ。
現代のように「比較しない・比較しては駄目」では、自分を知ることは出来る筈もない。
あくまでも、自分の思う自分像でしかない。
比較することで、身体の外見や、ざっくりとした能力くらいは容易に分かる。
だから、自分がやろうとしていること、目的に対して的確な計画を建て、目的に向かう事が出来るのだ。
同じように、「力」ということを考えてみた。
当然当初は「力任せ」しかなかった。
そこに精々角度や速度が加わるくらいだった。