人に興味がないのに

「人に余り興味がありません」と言う人が、人に触れる、人を治療する仕事を選んでいる事がある。
「何で?」と思うが、それこそ正直なところかもしれない。
逆に「人に興味があります」とか「心理学に興味があって」という人に限って、自分の思い込みだけで、自分はそうだと信じている人ばかりに出くわすからだ。
そういった人は「人と向き合う」ということなどやったことも無い人に多い。
人と向き合えないのに、どうして心理を分析出来るのか?不思議でならない。
そんな事を考えると「人に興味が無い」という人の方が正直だ。
興味が無いなら、興味を持つようにすれば良い。
という改善策はあるが、興味があります、という人に改善策は見当たらない。
ワークショップや教室では、そういった人達がそれこそ玉石混交状態だ。
だから私自身の学びになるのだ。
それぞれの人にどう対処すれば良いのか。
そこが一番の学びなのだ。
今回の京都で、そこの極意を見せた。
それは日常的な話ではなく、武道についての質問の中での答えとして現したことだ。
戦いを会話や関係性だと置き換えて見る。
相手をしてくれたのは、大手有名空手で20代で日本一になり、30代になって再び日本一になった。
ムエタイもやっており、タイで相当修行をしてきた男性だ。
彼と向かい合って、私が攻めようとしたら直ぐに反応して欲しいという条件だ。
私が少しでも攻める気配を見せたら、その彼は反応を示してくれる。
それが「私はどうしたい・こうする」という、相手に対する対処だ。
つまり、相手は違和感として反応をするのだ。
しかし、私は相手の彼を感じるようにし、彼の感じが変わった時、前に進むと彼は一切の反応をしない。
それを「相手が呼んでいるから・相手が誘っているから行っただけ」という言い方をする。
つまり、人との対処、人との応対は、自分の主体性が前面に出てはいけないということだ。
どんな人がどんな質問をしても、私は即応する。
それが即興であり、日常の実際であり、私の稽古だ。
長いお付き合いの人は「丸くなりましたね」と言うが、この対応をしているから、きっとそうも見えるのだろう。
私は以前よりもトンガッているのだが。

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