思ってしまう

先日の京都ワークショップレポートをまとめました。
https://www.hino-budo.com/Kyoto-ws1.htm
ワークショップを10年も続けていると、面白いことに気付いてくる。
当初は、ダンサーや役者向け、ということで始まったワークショップだが、回を重ねるごとにダンサーや役者達は少なくなっていった。
もちろん、武道関係者の数もどんどん減っていった。
代わりに増えているのが、医療関係だったり一般の人達だ。
「何で?」と当初分からなかった。
それを理解する為の手がかりを見つけたのは、プロのダンサー達からだ。
もちろん、フォーサイスカンパニーのダンサー達だ。
彼等は私のワーク全てから、自分の実力アップのヒントをもぎ取ろうとしていた。
その情熱がヒシヒシと伝わって来る。
だから、こちらもその情熱に触発され、どんどんアイディアが湧いて来て、益々難しいワークになる。
「ノー」と言いながら、子供のようにチャレンジしてくる。
そんな創造のスパイラルが形成されるのだ。
それに、一つのワークから直ぐに自分なりの動きを見つけ出そうと、身体で探りそれがダンスになっていく。
そうしている時の彼等彼女達は、本当に生き生きと輝いて見えた。
作品を踊っている時よりも、遥かに輝いていた。
「ダンスが好き」が身体から溢れでているのだ。
そこが一番の手がかりだった。
日本でそういった光景を未だ見たことが無い。
少なくとも、私のワークに参加してくれた、大方のダンサー達からはそれが見えて来なかった。
だから「ダンスを好きなのではなく、趣味の範疇だろう」としか見えて来なかった。
当然、私の難解なワークから、自分の何かを引き出そう等という、好奇心が働く筈もないと理解出来た。
だから激減して当然だろうという理解である。
しかし、数少ないながらも、今も参加してくれるダンス関係の人は、先生たちが多い。
先生たちは、経験があるから「日野身体理論」が使える、使えばもっと美しくできるし、身体が壊れていくと気付いてくれているのだ。
役者や俳優といった人達は、ダンサー達よりも私のワークは難しいのだろうと思う。
一番厄介なのは、芝居をする、演技をする、という事が身に付いてしまっているから、自分そのものが「声を届ける」という強烈な意思を持たなければ、それは実現しないのだが、そこが芝居になってしまうという致命的なものになるのだ。
「〜ように見える」という芝居をするのだ。
そうすると、本当に声を受け取りたい人に取っては、その芝居は強烈な違和感として伝わってしまう。
舞台や作品では、その芝居は成立しても、日常でしかも相当シビアな感性を持つ人には伝わる筈もない。
だから、そこを稽古していくのだが、残念ながら「方法(演技)」で擦り抜けようとする。
それはきっと無意識的にそうなっているのだろうと思う。
だから、どうにもならないし、きっと意味が通じていないのだろうと思う。
ただ、人が本当に響きあう、響き合えるということにチャレンジするのかしないのかだけだ。
人がほんとうに響き合っている舞台は偶然起こることがある。
それを偶然ではなく、必然的にそうなるになれば、相当素晴らしい、お芝居やダンスを知らなくても、誰もが共感できる素晴らしい舞台になる筈なのだ。
一般の人が増え、尚且つ熱心なのは、現実であり自分の人生そのものの問題を抱えているからだ。
切実なのだ。趣味に役立たせるのではなく、自分が生きる人生そのものに役に立つからである。
人生の一番の問題である「人間関係」や、「関係性」と言うことを具体的に身体を通して学べるから、熱心になるのだ。
今回は参加していなかったが、設計士の方が毎回参加されていて、私のコンセプトで家を設計するようになったら、お客さんから喜んで貰えるようになりました、と嬉しい報告を受けている。
つまり、人生に役立つ、仕事に直接的に役立たせる事が出来ると気付いた人が熱心なのだ。
今回の京都では、そんな熱心な人達が多く、空気を締めてくれていた。
医療関係の人達で、私のワークが役に立つと気づいたのは、当時まだ医学生だった一人だ。
もちろん、それ以前にもポツリポツリと医師や療術関係の人達が顔を見せてくれていたが、長続きはしなかった。
難しいからだ。
しかし、医療の仕組みや様々な療法に疑問を持つ医師が受講してくれるようになり、昨今その関係者が増えだしている。
それは、直接的に患者との関係があるからだ。
こればかりはマニュアルでは解決出来ないのだ。
自分の一挙一動が相手に違和感を与えている、という現実を突き付けられては、余程の頭の硬い人以外は、「これはあかん」と思う筈だ。
そのリアリティを、日本のダンサーや役者の人達は持ちあわせていないのだ。
だから、ただ難解なワークだった、あるいは、よく理解できました、で終わってしまうのだろう。
毎回ワークショップの後、こんなことを感じている。
熱心な人が増えているというのは、ここに来て時代が進んだというか、時間の流れというか、そういった全体の動きが、今日のワークショップに参加する人を動かしているのではないかと思う。

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