私は間違っていない

誰しも、自分の考え方は間違っていないと、どこかで思っている。
もちろん、私もだ。
どこかというのは「無意識的に」と言った方がいいだろう。
その考え方という中には、ものの見方や感じ方他、あらゆるものが含まれる。
もちろん、自分にとっては完全に正しい。
そこが一番やっかいなところだ。
自分にとっては間違っていないが、第三者的には間違っている、という事があるからだ。
第三者的というところにどんな言葉を持ってくるかで、自分自身を色々と検証出来る。
例えば、目的から見れば、そのやり方は間違っている、という事もある。
また、自分の考え方は間違ってはいないが、レベルはまだ低いという事もある。
ここは相当複雑だ。
私も同じように完全に正しい、間違っていないと思っている。
がしかし、現時点では、という但し書きが付く。
つくづく、この「現時点では」という視点を持てたことを幸運だと思う。
自分よりも優れた考え方に出会った時、即座に方向を修正することが出来るからだ。
もしも、成長したいという人がいたなら、この「現時点では」という視点を獲得することをすすめる。
知識ではなく、つまり、「知った」ではなく、自分の力で獲得することだ。
もちろん、これはどんなことでも同じだ。
「知っても意味は無い」のだ。
知っただけだから。
それを自分の力で獲得する事が、自分を成長させる方法である。
自分の力でというのは、自分の色々な事に置き換えて考えてみる事だ。
そして、置き換えた事を実行する事である。
知ろうが思おうが意味は無い。
行動した時に自分にとっての新しい事が見えたりするものだ。
また、おこがましいが、アドバイスをしようと言う気になる人と、ならない人がいる。
という分け方も自然にある。
それらは、一体何を根拠にしているのか、それ自身が分からない。
にも関わらず、そういった気分は起こる。
一応、人の反射関係だと私はしている。
では何が反射しあっているのかというと、それは分からない。
というよりも決められない。
こういったことも目には直接的に見えない。
だから専門家に任せておいた方が良い。
しかし、現実にそういった心境や気分が湧いてくるから、多少なりとも区分けしようという気になる。
その事が、それぞれの人の人生と大きく関わっているからだ。

Follow me!