何が大事かというと

人との話では、もちろんそこで交わされる言葉の意味や、その連なりの筋書きを読み解くのは大事な事だ。
しかし、それらは言葉として、筋書きとして単独でそこにあるのではない。
必ず状況というものが有り、だから出てきた言葉であり筋書きである。
その事が分かるのは、社会で生きる為の最低条件だ。
しかし、もっと大事な事がある。
それは相手に伝えるという意思、相手を聞こうとする意思だ。
そこは、人と人、交わされているという状況が補っていると、大方の人は無意識的に信じている。
それは役者や俳優さんも含めてだ。
だから「武禅」に来て「声を届けて下さい、私には届いていません」と言われると、「????」になる。
単に音が聞こえているだけ、音を発しているだけだからだ。
意思がない声は音に過ぎない。
誤解を恐れずに言うと、感情が全く動いていない声は音なのだ。
つまり、コンピューターが作り出した音と何一つ変わりはないということである。
この声のような音で、会話をしている姿をみると、気持ちが悪くなる。
自分に向けられる意思が無く、音が漂っているだけだからだ。
むろんそれがコンピューターやロボットならば、機械だと認識しているので気持ち悪くはならない。
約2時間30分の一つのセクションを終える頃には、初めて参加する人でも、その事に気付く。
それは人間という生物だからである。
生物は意識の変化、つまり、バイブレーションの変化や種類に敏感に反応する。
それはもしも犬を飼っていたり、猫を飼っていると体験している筈だ。
大げさに言えば、その生物としての人間に戻る訓練が「武禅」だ。
今回のレポートで、その事を体感した事が書かれてある。
一つは「相手の方の意思が見えた時に、お互いに相手に届けたいと強く感じているのが分かり始める。相手と自分が一緒になったような感覚。届いた時、お互いに本当に喜んだ。嬉しさという感情がやっぱりこれだと思いました。嬉しさを知る喜びを知る、これが出来たこと。本当に相手がいることの大切さを教えて頂きました。」また、逆の「相手を無視した声の出し方や発声は、相手に不快感を与えるだけ、と言うことが明確に分かった。」そのことを体感し、日常に持ち帰ってくれたら、日常の喜びや幸せ観が変わってしまう。
重要なのは自分自身の意思、相手に届けたいという欲求だ。
それが交じり合った時に、こころが相互に共鳴し言語化出来ない感動が起こるのだ。
それを人の会話であり関係と呼ぶのである。
初参加の女性が
「相手の歌の歌詞はよく理解できなかったり、自分が歌っている歌詞もよく分からなかったりしましたが、お互いに通じあっている感覚が会ったことが不思議でした。一緒にワークした方と感想を交換したところ、その方もそのような感想を抱いたそうです。相手と通じ合うというのは、歌詞の意味を理解しあうというところにもないのを体感しました。」「みんなで通じ合うということも、言葉の意味を超えたところにあるものかなぁと思いました」
人はみんな生物なのである。

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