目に見えないけど見える現象

今日は朝から押切さんと「明鏡塾」の内容や、今後について打ち合わせをしていた。
教室に来る学生をモデルにして、「触れる・感じる・聞く」のバリエーションの動画も撮った。
「関係」という得体のしれない現象は、当人同士だけではなく、周りにいる人も巻き込む。
それは「意識」という、これまた得体の知れない働きがあるからだ。
関係や意識を辞書で引けば、それぞれ「 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、そのかかわり合い。」「心が知覚を有しているときの状態。物事や状態に気づくこと。はっきり知ること。また、気にかけること。」等とあるが、実際的にどういうことかは分からない。
つまり、現れの説明は出来ても、その実体は分かっていないということだ。
その意味で、それらの言葉は軽く使われている。
もちろん、軽く使われて悪いのでは無いが、その現象はとんでもなく深いのだ。
武道を研究していて、一番に問題にしたのは「関係」だ。
技であろうが、何であろうが、それが成立しているのは、そこに「関係」という現象があるからだ。
その中で、腕力に頼るのは駄目だと気付いたのは、腕力は自分の意識が優先して起こすことだからだ。
自分の意識が優先するということは、相手に自分がやろうとしていることを、一種の違和感として感知されてしまうからである。
それも関係という中に含まれる。
腕力でなければ何だ?というところから、身体全体を使う、というどこにでもある言葉に、しかし、実際にはそうそう多くない事を研究していく事になった。
それらが講じて、私の活動範囲がダンスや演劇他に広がってしまったのだ。
つまり、どんなジャンルにも適応することだったからだ。
「明鏡塾」は医療関係者の為に起ち上げたもので、それは医療従事者が人との関係を深く知り、そしてそれを実践出来るようになる事が、スタッフ達や患者の人達との間に、良好な現象が起こる事になるからである。
ワークショップでもここを重要視し「関係塾」という枠を設けている。
舞台であれ、人生であれ、全ては人と人との関わりで成り立っているからである。

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