京都のワークショップが近づいている
京都でのワークショップが近づいて来ている。
そう言えば、ワークショップ自体は安藤洋子さんと2005年に始めたのがキッカケだから、かれこれもう10年になる。
おかげで、私のワークもかなり進化しているし、目的そのものが明確になっている。
それぞれのワークの小さな目的から、ワーク全体の目的まで、分り易くなっている。
今回は場所取りの関係で、かなり変則的な時間割になってしまった。
場所に関しては、毎回どこでも同じ悩みがでる。
その点外国は、特にフランクフルトではそういった事が起こらない。
日本では行政が勝手に考えたシステムで、使う側の立場に立っていないので仕方がない。
もちろん、行政は使う人の為に考えたシステムだと思い込んでいるから始末が悪い。
京都のワークショップの時は、もう桜も散っている。
しかし、良い気候だから散策には持って来いだ。
今回は、どういうことかは分からないが、早い時期から申し込みが相次いでいた。
「あなた任せ」の事は、何も読めない。
だから、どんなことでもこちらとしては、やるだけやる、やれるだけやってみる、を貫く外はない。
毎年受講してくれている青年は今年も来るだろうか。
年に一度顔を合わせ、その人達の成長を見るのが楽しみの一つでもある。
成長してくれているから、同じワークをしても全く違うワークになる。
また、社会人としてどうなっているのかを知るのも楽しみだ。
そうなると、まるで親の感覚だ。
親といえば愚息とは、年に1回会うか会わないかだから、ワークショップで顔を合わせる人と余り変わらない。
ジャニーズの堂本光一さんが座長をする舞台で和太鼓を叩いている、というのを知っているだけだ。
先日のその舞台でのアクシデントは、愚息の真横に倒れて来たそうだ。
「お父さん、あれにはパニクったで」「何をパニクるんや」「舞台を続けるのか、助けるのかや」
完全にプロになっている愚息を頼もしく思ったものだ。