感情を育てろ

昨日は稽古を終え、どうして自分の意識が自分の邪魔をしているのか、という話になった。
それは、例えば「声を届ける」とした時、相手から届いていないと言われたとする。
そうすると、当たり前だが「どうしたら?」になる。
その次に、声の種類や音量を変えたり、とにかく、現れを変える。
しかし、ここで考えなければならないのは、「現れていること」は、その前とか鶏と卵の関係のように、どちらが先なのか後なのかは分からないが、相手に伝えたいという欲求や気分が発生しており、それが例えば声、例えば表情や姿として「現れる」ということだ。
もちろん、鶏と卵のように、その声や表情、姿をすることで、欲求や気分が生まれる事もある。
それは、女性が髪型を変えたり、服装を変えイメージチェンジをするのと同じだ。
だから、一概に現れを変えるのが間違っているのではない。
ただ、その現れに固執していくと、ドツボにハマるということだ。
現れに固執するというのは、「この声が駄目なら、この声でいこう」という具合に、現れだけを変えていくことである。
いくら髪型を変えても、気分や欲求が以前と同じなら、この場合は全く意味が無いのだ。
これが、目的と手段の入れ替えで、髪型や服装を変える事が目的になっているという状態である。
ここで大事なことは、「相手に届けたい」という気分や欲求を持てることだ。
それは「こちらには届いていません」という相手の反応に対して、こちらの感情が動く筈だからだ。
しかし、大方の場合は、そうはならない。
ここには「感情的になったら駄目、理性が一番」というような、間違った教育で洗脳されてしまっている、という私達の基盤が染み付いているという事がある。
だから、相手から「私には届いていません・私には言われていません」といくら言われても、「どうしてだろう?」と意識を働かせ、ドンドンドツボにはまり深刻になるだけなのである。
つまり、自分を否定されているにも関わらず「どうしてだろう?」というような、訳の分からない回路が自動的に働き出すのだ。
しかし、よくよく考えると、それも一つの防御なのだ。
つまり、否定されていること自体と、真正面から取り組まずに、逃げているということの現れの一つなのだ。
自分は、目の前の人に届けようとし、声を発しているのだ。
しかし、「届いていません」と返された。
そしたら「ええ〜〜何でや?俺はお前に話しているんやぞ!」と気分が大きな感情とならなければおかしいのだ。
その内的に起こる感情が、相手に対する意思を発生させ、その感情が欲求に繋がり、「何が何でも届けてやろう」という言葉にならないエネルギーとして噴出するのだ。
しかし、基本的には「届いていません」と言われている事が、自分を否定されたにはせず、「その事、つまり声を届けるという現れを否定された」に置き換えてしまう逃げ方が身に付いてしまっていることが問題なのだ。
だから現代人は、その事そのものと対峙する、そこを習慣化することを訓練する必要があるのだ。

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