人間の素晴らしさが見えた
今回の「武禅」終了後の外科医の行動。
こころが動き、いてもたってもいられなくなりお母さんに電話を入れた。
そしてお母さんが答えた。
その全てに外科医の情動が触れ涙が溢れた。
そこにあった言葉を通して、こころが相互に浸透したのだ。
これこそが「正面向い合い」である。
自分自身のこころが動いた時、相手のこころ、お母さんのこころも動いた。
そこにある目に見えない働きを生じさせるのが「正面向い合い」である。
私の母が末期のガンで、余命1週間と宣告されていた。
そこから日常復帰し1年間生きた。
その最後は母が決めた。
再入院を医師が促した時、母はキッパリと「もういいで」と私に告げた。
「よっしゃ」と母を抱きかかえ車に乗り込んだ時、私の腕の中で母は「ありがとう」と私に言った。
声にもならないくらい、小さな小さな声と言葉だが、私のこころには大きく響いた。
まるで地球の自転も時間も止まったようだった。
そしてその言葉が母の最期の言葉だった。
人は一切の雑念無く、その言葉に自分がなった時、そこには全ての垣根も枠も無くなり、人は繋がり合えることを母から教わった。
母からの最後の教えだった。
関係性そのものである。
それが「武禅」での正面向い合いであり、声を届けるになったのである。
72歳の女性が若い女性に真正面からぶつかっていった。
それは自分の子供だと理屈なく感じたからだろう。
それが道場に伝播し、外科医のこころや皆のこころを揺さぶったのだ。
その瞬間、人間というもののドラマ、可能性、素晴らしさを目の当たりにした。
何だか今回の「武禅」が節目のような気がした。
もしかしたら「武禅」の役目は終わったのかもしれないとも。
そんな事をかすかに思った。
まさかこんな素晴らしい時間が生まれるとは、開設当時は夢にも思わなかったからだ。
「武禅」も20年の歳月の間に成長し、そして受講者も共に成長しこの瞬間を持てたのだ。
皆が私に礼を言ってくれるが、私こそ皆に礼を言いたい。
「人を見せてくれてありがとう」