母の姿がだぶった

いきなりだが、今回の「武禅」に参加した外科医が、ブログにアップしていた言葉や感性が素晴らしかったので、こちらに添付した。
彼は医学生の頃から、私の教室や「武禅」に参加している。
そしてあの3・11を、宮城の病院で医師として体験した。
3日間は一睡もせずに運ばれてくる患者達と向き合ったそうだ。
その後の「武禅」に顔を見せてくれた時、彼の顔は引き締まって良い顔になっていた。
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昨日和歌山での武禅が終わった。
本当に色々あった会であった。
人と向かい合う。
いく前は、向かい合うって何なのか?
話を聞くってなんなんか?
と混乱していた。
しかし、行中に、人に対して本気で向かい会う女性の姿を見て、自然と涙がこぼれ落ちていた。
向かい合うっていうのは、言葉ではない。
自分自身の全てと相手の全てを、届け、そして受け取りあうという本気の場だ。
そこに言葉はない。
女性の姿を見ていて、別の一人の女性の顔が浮かんだ。
母だ。
「子は宝」と言って、自分ではなく、僕ら3兄弟のために日々生活してくれた母。
僕は、中高の頃、不登校児だった。
家にいても、有り余る自分のエネルギーをどうしていいかわからなかった。
それをモノに当てたり、時には母親と取っ組み合いになることもあった。
そんな時、母は決して逃げず本気で向かい合ってくれた。
決して大きな体ではないのに、力が強いわけではないのに、小さな体で、大きな愛情を持ち、本気で僕に向かってきてくれた。
僕が暴れた後、混乱で泣き叫んだ時に、小さな体で、大きく、本当に大きく優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫、大丈夫」と。
抱きしめられた時、本当に暖かかった。
武禅のその女性を見て、そのような思い出が溢れてきた。
武禅は昨日終わった。
帰りの電車で、触診の練習を集中してやっていたら、山手線を一周するという珍事も起こしたが、なんとか帰ってきた。
でも、僕の武禅は終わってはいなかった。
やらないといけないことがあった。
母に電話をかけた。
今日は言わないといけない。
いや初めて言いたかった。
今まで、母の日にも誕生日にも何も言ったことはなかった。
でも、今日はちゃんと言おうと決意していた。
「僕が混乱している時に、ちゃんと向かい合ってくれてありがとう。」
自然と涙が溢れてきた。
外を歩いていたのに、止められなかった。
母は優しく言った。
「ありがとう。」
僕の武禅はやっと終わった。
もし子供が生まれたら、僕は、母のような愛情を持ち、子供をしっかりと育てて行きたい。
そう感じた武禅だった。
あの場を作って下さった日野先生。
本当に美味しい料理を作ってくださった和子先生。
一緒に練習した参加者の皆さん本当にありがとうございました。
次会う時は、お互いもっと成長しておきましょう。
よし!戻ってきた。
今からが実践だ!!
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こんな素晴らしい感性を持った医師が沢山増えれば、どんなに素晴らしいことだろう。
まだ30代の彼は、今後どんどん成長していくだろうし、成長して欲しい。
こういったドラマは、大小はあるが毎回起こる。
しかし、今回の出来事は特別だ。
ここに書かれて女性は70歳代の女性で、かれこれ20年になる。
「武禅」を起ち上げる前のセミナー時代からのお付き合いだ。
この女性も最初は、自分からも物事からも逃げていた。
その事に気付き、何とか正面から向き合えるようにしよう、そうなりたいと切磋琢磨してきた。
そのある意味での結果が今回の出来事として現れたのだ。
そう考えると、実際として人が成長する、変化するには20年の時間がかかるということだ。
この出来事の後、女性と手を取り合って「良かったね」と言いあった。
「全部自分のことだったのですね」
女性は逆に若い女性に感謝していた。
何よりも自分を引き出してくれたのだから。
と。
こういった人間的成長が「武禅」の目的だ。
93回、約20年やり続けて良かったと、今回ほど思った事は無かった。

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