思わず「馬鹿か?」
「ゆっくり」というのは、等速運動をする、という意味で、それを説明しても、よく理解できない人がいる。
その理由がよく分からないのだが、明らかに分からない人がいる。
そうすることで、運動の形や運動線を見極められるからである。
つまり、自分の運動の正確度を計る為のものだ。
しかし、単なるお遊戯のような「ゆっくり」になる事の方が多い。
思わず「こいつは馬鹿か?」と唸ってしまう。
ただ単にゆっくりやったところで、運動線を見極めることも、形を見極めることも出来ない。
それは、その目的があるから必然としてゆっくりと、になるのであってゆっくりが目的ではない。
もう一つ、等速運動には意味がある。
そのゆったりの中で、自分の意識が散漫にならないことの訓練でもあるのだ。
そういった諸々の要素も、動きそのものや形そのものも以外に付随する要素である。
つまり、二重の訓練をしているのが、私の教室だ。
どうして、そんなややこしい事をするのかというと、ややこしいこと、複雑なこと、精密な事を自分自身に要求するからこそ、自分自身の能力が高まるのであって、単なる「楽しい」ではどうにもならないのだ。
こういうことはスポーツでも同じだ。
運動線を正確に、という事が、動きが正確になるということだからだ。
たった一つのルールを作るだけで、動きはぎこちなくなる。
それくらい身体は不自由なのだ。
しかし、それを克服すると、運動線を正確にが身に付いているので、どんな動きをしても線が乱れる事が無い。
そこにあるのが「守破離」という日本の稽古に対する考え方である。