自分を動かすのは自分だ

武道に関連する道場や競技空手の道場では、例えば5段になれば師範になれるとか、10年稽古をすれば師範になれるという事がある。
もちろん、それはそれぞれの理由があり、またシステムがあるので問題はない。
指導すべきことを指導できる、あるいは、師範になることで実践的に学ぶということもある。
昔、糸東流の廣川師が「黒帯はまだ実力的に無理なのだが、黒帯になったという自覚が、その人を黒帯にすることもあるのですよ」とお話して下さった事がある。
その時は、そんなものなのかな、と思っていた。
しかし、それは個人差や、時代差があり、一概には言えないと、今なら思う。
私は10代の頃バーテンダーをやっていた。
それは将来自分で店を持ちたかったからだ。
バーテン見習いをやっていた時、師匠から「あき坊、1軒の店のバーテンが倒れたらしいから助っ人で行け」と言われた。
何も知らずに「ハイ」と返事をしてその店に行き、掃除をしたり瓶を磨いたり、いわゆる見習いのやる仕事をしていた。
しかし、おつまみや果物屋が注文を聞きに来る時間になってもバーテンは来ない。
おかしいなと思い師匠に電話を入れた。
すると、師匠が「誰も来ないで、あき坊一人でやるんや」と「それは無理ですよ、できません」と驚いて返答した。
当たり前だ。
見習いに入って3ヶ月程にしかならない。
カクテルも作れなければ、オードブルなど作れる筈もないからだ。
「やるんやで」と電話を切られた。
一瞬呆気にとられたが、ボーっとしている時間はなかった。
オードブルの材料を買いに黒門市場へ急ぎ、色々な店でメニューを教えて貰い作った。
その店にはホステスさんが10人程いた。
もちろん、全員年上だ。
「今度のチーフは可愛らしいね」等と言われたが、かまっている時間はない。
なんやかんやで、その店を一人で切り盛りした。
やったらやれるものだ。
という記憶があるから、自覚すれば黒帯にふさわしくなる、というのはあると思ったのだ。
しかし、今の時代、そんな事があるのだろうか。
あって欲しいとは思うし、なければいけない。
習うことしか知らない人に可能なのだろうか?

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