後一日

「自分はこの20年間何をやってきたのだ?」
「この体感が欲しくて、どれだけ治療費を払ってきたことか」
様々に興奮した言葉が飛び交う。
ワークショップの定番の全身ストレッチだ。
そう言えば、今の全身のストレッチは彼らは知らなかった。
「皆がやっているストレッチは、外側の筋肉を扱うものだから、全身は繋がらないよ、一寸ここを触ってみて」とファブリズにお腹を触らせ、深部をストレッチさせている手順を感じさせた。
「全く違うものだ」
「股関節の繋がりがよく分かるし、故障を自分で治せるね」
この全身ストレッチは、彼らにとって「関係する」ということと同じくらいセンセーショナルなもののようだった。
これは、日本でもフランスやベルギーでも稽古をするが、残念ながら誰一人として、これほどの感動を持っていない。
「ああ~凄い」という程度だ。
つまり、新しい知識は凄い、と言うように知識として得て、自分とは切り離しているのだ。
私がいつもいう「頭を満足させただけ」である。
しかし、彼らはどんなことでも、自分の身体で考え工夫し、そして身体で答えを出す。
「身体で考えろ」と教室でもワークショップでも言うが、身体で考える事が出来るようになるには、頭で考えるのと同じくらい、身体と会話をする量を持たなければそれは出来ない。
しかし、大方は「身体で考えろ」というと、「身体で考える」と頭で考えてしまう。
それでは、身体が一歩も前に進まない。
カンパニーのダンサー達は「身体で考える」事が出来るくらい、身体を駆使し、対話をし自分の身体に目を向けているのである。
だから、「全身ストレッチ」という知識を得ているのではなく、自分の身体と私の提示する身体とを、会話させており、そのことで起こる、身体の変化に驚き、喜ぶのだ。
そう言えば、数々のワークは彼ら、フォーサイスカンパニーのダンサー達を知った事で、考えだした事が多い。
その意味で、フォーサイスカンパニーでの初めてのワークショップが私の原点なのである。
だから、彼らに感謝せずにはいられない。
いかに日本の身体文化が深いものかを提示し、彼らに憧れさせることが出来るか、というテーマを持って臨んだ。
その意味で私にとっては真剣勝負だったのが、カンパニーでの初めてのワークショップだった。
午後に入り、正面向い合いから完全な関係を目指した。
フォーサイスのマネージャーのチェリーも顔を見せ、再会を喜んだ。
1対2の向かい合いから、多人数になっていき、全員が同調して動いてしまう、というものだ。
これは、日本でのワークショップやショーケースで散々稽古をしたが、残念ながらものにはならないかったものだ。
しばらくすると、アチコチで歓声が上がる。
「感じる・関係する」という事で起こる出来事に、彼らの概念がひっくりかえってしまったからだ。
「感じる・関係するというのは、奇跡をもたらすだろう」
「本当にそうだ、我々が知っている、感じるも関係するも約束だったのだ」
私の提示するワークは難しい。
というよりも、自分の持つ固定観念の転覆だ。
しかし、「難しい」は出来ないではない。
現にカンパニーのダンサー達は、その手がかりを完全に掴んでいる。
それだけでも、私自身が身体を突っ込んで考えて来たことが、無駄ではなかったと感じる。
今日も、気が付けば6時を回っていた。
強烈なスピードで時間は通り過ぎる。
この日は、皆でラーメンを食べにいく。
日本人がやっている店だそうだ。
安藤さんが「どこにこれだけの日本人がいたの、というくらい、日本人だらけですよ」と言う。
8時に現地集合。
そこにはアマンシオがいた。
彼はバレエの先生として、大忙しで、明日はスウェーデンだそうだ。
ビールで乾杯!おかげで9時まで眠れた。

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