緊張感のある空間

昨日は再開した「明鏡塾」だった。
よくある名人芸の発表会的セミナーではなく、「関係性」という目に見えない、また、実感しづらいテーマを扱ったものだ。
教室では、関係できる自分つくりと同時に、現時点での「関係力」とでも言うべきものを検証した。
テーマがテーマだけに、一日という時間内で手応えを掴めるものではないが、結果として全員の表情が良くなっていた。
声をかける、それを聞く、たったこれだけのことで、身体は緩む。
それが無意識的な反応である。
もちろん、最高級難度のことなのだが、スタートはそこからだ。
つまり、目的地点を明確にすることで、自分が何をやろうとしているのか、やっているのかを自覚する為だ。
目的地点が曖昧だと、当然迷走し時間の無駄になる。
目的地点が明確だが迷走する、という場合は、何れ目的地点に辿り着くことが出来る。
「武禅」でのテーマ、人と向かい合える自分も導入しているので、さながら「武禅」の治療家版だ。曲がりなりにも正面を取ることで、身体に変化が起こる。
それを身体を押す、ということで全員体験し驚ろくと同時に喜んでいた。
新しい技術を獲得し、治療効果を上げるのではなく、自分の技術をそのままにし、自分そのものを成長させる。
その事で、治療効果は上がるということを実感してくれた。
ここからが本当のスタートである。
関西から参加の治療家は、私の動画から見よう見真似で胸骨操作をしてくれているという。結果、不整脈が治ってしまったという報告を受けた。
それを聞いて、運動の正確さも必要だが、それ以上にどんな動機で、どんな気持ちがそれに取り組まさせたのかが、重要な事だと改めて確認できた。
昼食を挟んで、「言葉」にある種の力を持たせ、その事が身体に影響を与える事を検証した。
「ある種の力」というのは、自分の持つ意志の事だ。
それが言葉を、音から声に変化させるのだ。
音はやかましいが、声はうるさくない。
声は「誰に」という明確な意志がある状態だ。
もちろん、それは私には意志があると「思っても」出来ない。
もちろん、ここも難しい。
自分にとっての明確な対象。
それは、自然に出来ているレベルでは弱いのだ。
それでは伝わらない。
そういった事を、椅子を使ったり身体を使ったりで、自分のレベルを知って貰った。
始終笑顔が絶えない、緊張感のある時間であった。
次は3月14日だ。
「違いが見えますか?」

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