人でなければ出来ないこと

私が小学生低学年の時分だから、55.6年前の頃。
母が胆石で療養していた。
母が寝ており、その傍を通るだけで激痛を起こす。
だから、本当に慎重にソロリソロリと歩いていたのを覚えている。
祖母から「お母ちゃんは痛いんやから、そ~っと歩かなあかん」と叱られていた。
何故病院にいかずに家で療養していたのかというと、指圧の名人にかかっていたからだ。
現在で言うと、「ええ〜、そんな」ということになるかもしれないが、当時はそういった名人がいたのだ。
それこそ、拝み屋さんと呼ばれる人から、修験道の山伏に至るまで、胡散臭い匂いがプンプンするが、結果を出す人がいた。
この指圧の先生は、胆石のみならず色々な病気を治療していた。
それこそ日常的な魚の目や肩こりから、胆石のような病院へ行かなければならない病気まで受け持っていたのだ。
子供からすれば怖い先生、怖そうなおっちゃんだった。
そんな印象を持っていた。
どうして、こういう名人がいなくなったのか、あるいは、少なくなったのか、それは分からない。
しかし、どこかに受け継いでいる人が居るのかもしれないと思いたい。
科学的という言葉が日常に浸透するに連れ、こういった人達は姿を消していった。
ではその科学は万能なのか、と問わずにはいられない。
昨日面白い話を聞いた。
日本では男性の平均寿命よりも、女性の平均寿命の方が長い。
その理由として、男性は会社勤め人が多いから、その分定期健診にかかっている人が女性よりも多い。
そこで、病気を発見される確率が女性よりも多いからではないか。
つまり、発見しなくても良いような病気、自然に治るような病気を発見し、手術や薬を投与されることで、寿命が縮まっているのではないか、ということだ。
これは中々面白い話だ。
人の持つ技術が科学にとって変わる事が出来る事は沢山ある。
その意味では、近い将来無くなる職業は沢山あるだろう。
それはロボットの方が、効率良く作業をこなすからだ。
私の友人はその昔写植屋をやっていた。
しかし、今ではその職業は無い。
ここ10年を振り返るだけで、相当そういった現象は起こっている。
では、自分はどう生き抜くのかである。
今の、自分の職業は無くならないのか無くなるのか。
治療や介護の分野でも同じだ。
ロボットの方が良い事も沢山ある。
しかし、人でなければいけない事もある。
しかし、それは「人一般」ではなく、人でなければ出来ない事が出来る人だ。
この場合の人は、一般化された人ではない。
昔日の指圧の名人のような人である。
つまり、人と正しく関係できる人ということだ。
「明鏡塾」では、そんな人になって欲しいという思いから起ち上げたのである。
明日は今年一回目の教室だ。

Follow me!