人に必要な力
「殻がある」というのも、他人から指摘されても分からない。
もちろん、言葉は分かる、つまり、それは意味が分かるだけ、雰囲気が分かるだけであって、その事を実感的には分からない。
自分自身の本体としては何一つ分からないのだ。
つまり、自分が問題に直面したことが無いか、問題に直面していても、それが自分のせいないのか、どういうことなのかが分からない。
あるいは、問題に直面していても直面している事が分からないのだ。
その場合、原因として「殻がある」と頭の中を環状線や山手線の如く、ぐるぐる回るだけで、何一つ一向に解決はしない。
当たり前だ。実際の問題が分からない幻状態なのだから、当然何をどうしたら良いのかを、考えだすこと等出来る筈もない。
「自分が生きている」という事実なのだが、それは事実であって、自分が実感として認識できている事ではない。
また、認識していたとしても、自分と向き合っている事ではない。
と、言葉を並べると、非常に複雑で難しくなるが、要は素直に感じ、素直に生きているかどうかだけである。
生きるのに必要のない知識や、固定観念の固まりに振り回されて生きるのはやめよう、ただそれだけの事である。
先日、東京教室の生徒さんの一人が、耳が遠くなって来たという話をしていた。
耳が遠くなり補聴器を付けてみると、周りの音が驚くほどよく聞こえる。
こんな音も鳴っていた、という驚きだ。
つまり、人というのは聴きたい音だけを自動的に選び、それだけが聞こえているとしているだけだった、という発見をしたという話である。
まことに真理である。
それが自分自身が作り出した固定観念のなせる業の一つだ。
もちろん、それが良い場合もあるし、悪い場合も有る。
しかし、それが「殻」の原因でもある。
たった一つの、どこにでも有る風景から、真理に気付いていく。
この生徒さんも「武禅」に何度も足を運んでくれている一人である。
この補聴器の話は、この人が自分の力で気付いた事、つまり、自分の力の成果でもある。
人にはこの力だけが必要不可欠の真の力である。