フォーサイスカンパニー最後の
昨年晩秋、フォーサイス・カンパニーのファブリズから一通のメールが入った。
「カンパニーが6月で解散する。フォーサイス・カンパニーの起ち上げから日野が来ているから、最後も日野にワークショップを開いてくれないか」というものだった。
この事は嬉しく名誉な話だが、「そうか」と寂しさも同居した、何とも言い難い感じだ。
コンテンポラリー・ダンスの世界をリードし一時代を築いたフォーサイスだが、体調のこともありその幕を閉じる。
確かに時代は変遷する。
いや、間違いなく変遷し続けているのだ。
ファブリズに最後にどんなワークをしたいのか、と尋ねると「日野のワークはどれでも良い、皆素晴らしい集中力を発揮するし、日野が即興的に我々に何かを提示してくれる、それが良いのだ」という返事だった。
これは、まだ時間があるから、直前に煮詰めようという話になった。
少し前、カンパニーのシリルから辞めたとメールを貰った。
アンデルはNDTのバレエコーチになると言っていた。
どんなことでも永久には続かない。
そんな時間の流れの中で、フォーサイス・カンパニーの起ち上げから、幕を下ろす時も時間を共に出来るのは、ほんとに光栄な事である。
色々な意味で、カンパニーのダンサーたちが影響を受けてくれた事が嬉しい。
そう言えば、2012年だったかワークの途中で、この静寂と空間はほんとに美しいと、ファブリズが小さな声で呟いたのが印象的だった。
体育館の半分はあると思えるほど、大きなスタジオの空気が、まるでひとつの固まりのようになった。
その密度で息が苦しくなるほどだった。
集中できる人が集まると凄い事が起こるのだ。
思えば「感じる」という極々普通に転がっている言葉をメインにしたのは、フォーサイス・カンパニーでのワークショップからである。
「コネクト」も同様だ。
その事によって、視点が変わった。
その視点でダンスや芝居を見るようになった。
というのは、私の言う武道では「感じる」も「コネクト」も余りにも日常的だから、その視点ということにはならなかったのだ。
ダンサー達にとっても日常的なのだが、私の言う「感じる」や「コネクト」とは全く違うもの、つまり、単なる概念でありその実際はなかったのだ。
だから、全員が「それを獲得したい」となったのだ。
ダンサーとして最高の武器になると、彼等は感じ取ったのだ。
それから、今年で11年目になる。
最後なら、真剣向かい合いだろう!
最後のお土産だ。