感じるとこころに響く
マルセイユでの最終日の最後、質問コーナーを設けた。
そこで、パリで初めてワークショップを開いた時から、受講してくれている空手の先生から「感じるというけれど、本当に感じるだけで良いのか」と質問があった。
それはその人にとって相当切実なものだと、顔を見て理解できた。
通訳の方と何度か会話があり、目に涙を浮かべそうになっていた。
「そうだ、感じるだけで良い。何時も言うように皆は言葉を知っているが、実際には行っていない。相互の関係において、最も大事な要素の一つだ」と答えた。
そして、受講者の一人で体格の良い人を呼び、私が投げるから投げられないようにしろ、と条件を付けた。
普通にすると、私の小さな身体、小さいな力では投げる事など出来ない。
もちろん、投げる為の色々な技を使えば別だが、ここでは感じる=触れるの検証だからそれは使わない。
そして、私はその人を手を通して感じ体重を動かすと、その人は足から崩れ落ちた。
「つまり、感じるというのは、あなたが思っているほど浅いものではなく、相当深いものなのだ。だから感じるだけで良いという言うのだ」と結んだ。
触れる=感じるは、ある意味で触れられる人の意識を通り越してしまう。
香りが直接脳に響くように、直接身体に響くのである。
その意味で、身体に触れる職業の人には、絶対必要な能力だと言えるのだ。
医師を初め看護・介護・整体師・理学療法士等々、とにかく人を心地よく、あるいは癒やす、あるいは客商売の人達には必要なのだ。
しかし本来的に言えば、人類全部だ。
これも思えば、2005年フォーサイスカンパニーに初めて招聘されたワークの時、フォーサイスの奥さんでありダンサーの、ダナが「こんな触れられ方はしたことがないよ」とフォーサイスに告た時、大爆笑が起こった事があった。
そう、誰も人に触れていないのだ。
その事は言いようがないので、丁寧にとか相手の身体を感じ取って、という言い方をするが、実際はそういう技術ではない。
触る側の意識がどれだけ静かなのか、どれだけ曇がないのかがそれを実現するのである。
だから、自分自身のグレードアップというのだ。