要素って分かっているのかな
武道の要素にはどんな種類があるのか。
というような事でヨーロッパでは教えているのだが、かれこれ8年にもなると、どうもこの「要素」ということが理解できていないのかもしれない事に気付いてきた。
要素を学ぶ為には形が必要で、その形を技だと思っているフシが有るのだ。
だから「これは実践で使えるのか?」という質問が来る。
そうなってくると、要素という考え方を持っているのかどうかが不安になる。
これは、私の言葉をフランス語に翻訳してもらう時、通訳をしてくれている人と相当時間を割いて話した。
その時に、かなり言葉が混乱したので、もしかしたら、とは思ったのだ。
しかし、思い起こせば2005年から始めた日本でのワークショップの時にも「ダンスにどう使えば良いのか・このままでは使えない」という質問や疑問があった。
だから、「要素」という考え方を、日常的に実際には使えていないのではないかと思った事があったが、忘れてしまっていた。
要素だから、その事を「身体で理解できるようになる」と、実際には自分のやっていることに、いくらでも使えるのだが、その考え方がなければそうはいかない。
もちろん、身体で理解する、という事自体が時間がかかる。
身体を動かすメカニズムを変えてしまう事だからである。
にも関わらず「出来ました、次は何をすれば」というような事が起こったり、質問が出たりする。
「出来ました」など一朝一夕には有り得ないのだが、身体で理解する、という事自体も「頭で理解している」だけだから、結局その溝は埋まらない。
この傾向は、特に身体を動かし慣れているダンサー達に多い。
しかし、シビアなプロのアスリートやミュージシャンは理解出来る人が多く、決して「出来た」などという言葉は使わない。
そして、結果を出したり身体の変化の実感を持ってくれる。
先日も、フランスで活躍する声楽家が、胸骨トレーニングの成果などを知らせてくれた。
競輪の選手もしかりだ。
この差というか違いは何なんだろうと、何時も思う。