自主学習能力は
人にぶつかったり、見知らぬ人に挨拶したり、というのは当たり前のことではなかった。
私の間違いだ。
それを教育されていたり、躾けられていなければ出来ない。
あるいは、地域がそういった事を日常的に行っている場合に限られる。
とは、いうものの、学習能力があるならば、身に付くのではないかと考えるが、それは実は甘いのかもしれない。
自主学習能力ということで考えると、その能力は自分自身が獲得したい、あるいは、知りたいという欲求からくるものなので、自動的には芽生えないし育たない。
大人になってから教育されても、余り身に付くものではない。
と考えると、どんな家庭環境で育ったのか?ということになる。
日本はある意味では、民意レベルは高い筈だ。
「俺は客や」と怒鳴りたくなるような応対をする客商売もあるが、大方はそつなくこなす。
決して悪い人間ではなく、むしろ人は良いのだが、そういった気遣い的な事が育っていない人が多いのにも残念な気持ちになる。
稽古を見ていても、「これにはこれ」という考え方しかなく、これは「ここにも、あそこにも応用するもの」という見方が出来ない。
それにも驚く。
5年かけ、10年かけて練習をし稽古を積んでいっても、それは実は何も積み上がっていなかった、ということだろう。
いくら口を酸っぱくして言っても、摘みあがっていない。
良いテキストさえあれば、誰でも「積み上がる」というのは、私の幻想なのかもしれない。
では、どうすれば良いのか。
それは残念ながらこちらの問題ではなく、その人の問題だから仕方がない。
自主学習能力が育っていない、自分で育てていないから仕方がない。