腕力に頼らないというのは
両手を一緒に動かす、両手と全身を一緒に動かす。
こういった「一緒に」という動作が大事である。
それは、腕力だけに頼らない為の大事に要素の一つだからだ。
腕力だけに頼らないというのは、単に力が強いから、弱いからという話ではない。
相手に違和感を与えない、つまり、違和感を与える事による相手の緊張、敵意、そういった心理的な反応を引きださない為だからである。
心理的な反応は、身体において無意識的な反射も促す。
つまり、突発的な大きな力を出す可能性が生まれるということだ。
よく武道では力がいらないという表現が用いられるし、私も用いるが、それは単に腕力に頼らないという意味であって、文字通りの力は要らないのではない。
いうならば、全身で均一の緊張を持つ、ということである。
そして前記の、相手に違和感を持たせない為である。
どこか一点だけに力みが生まれる、あるいは有るのがいけないのだ。
そのどこか一点というのは、大方の場合、相手との接点であったり、突く為、あるいは斬る為に腕や肩、背中、腰、足他である。
その場合、それらの部位を緩める事が大事かというとそうではない。
力みがある、というのは、そういう考え方や欲求を持っているということだから、身体をいくら修正してもそれはその場限りであり、何一つ修正は出来ていないのだ。
それが自分の持つ固定観念や、欲求の奴隷になっている、ということである。
だから力みをとっていく、あるいは、力みに気付くということは、自分自身に気付くということに他ならないのである。