個人差を知ることが大事だ

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おかげさまで1月10日のライブは完売しました!
予約は締め切らせて頂きました!

結局のところ、どんなことにしても「これが一番合理的」というトレーニング法や、稽古法は無い。
概ねこうではないか、という道筋のようなものがあるだけだ。
それはそこに個人差、個体差があるからだ。
同い年で同じ教科書、同じ時間を教室で過ごしても、結果としてそれぞれの個人に残ったもの、獲得したものが異なるのは、誰にでも体験している筈だ。
しかし、社会人になるとその体験を忘れ「一番近道」が有るかのように思ってしまう。
もちろん、そういう「一番合理的」がどこかにあって欲しいとは思うが。
有るとすれば、自分が見つけ出せる事だ。
概ねこうだろう、という道筋から、自分に適したやり方を探し出すのが一番だ。
個人差個体差と言ってしまえば、「そうだろう」という位の認識だろうが、その個人差を持つのが自分自身だとは、明確には理解していない人が多い。
それを明確に持っていれば、自分で自分の方法を見付け出せるのだが。
どうして明確に理解していないのか、というと、比較するという視点を持っていないからだ。
他人と比較することで、違いが明確になってくるのだが、そんな簡単なことすらしないからだ。
あの人よりも背が引く、でもあの人よりも背が高い、あの人よりも痩せているが、あの人よりも肥えている。
といった、単純な外見的比較に始まり、運動能力、気付き方数え上げられない程、比較する材料はある。
そういった事をしないから、自分自身を客観的に見ること等出来ない、つまり、自分に適したものを発見する、という思考にはなっていかないのだ。
同じことをやっていても、誰一人として同じことはやっていない。
当たり前の事なのだ。
道筋には幅があるし厚みも有る。
決して平面ではない。
と言葉では誰でも分かるのだろうが、実際は平面的にしか物事を、自分自身を見ていないのだ。

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