で、一体どうしたの
「で、一体何?」という感覚というか、疑問というか、理解不能な現象に出くわした時の、私の口癖だ。
この「で、一体何?」という感覚は、10代の頃からあった。
「それで何やねん」だ。
それの多くは自分自身に向けられていた。
その感覚の言葉は、角度を変え「出来てどうする?」にもなっていた。
どうしてこの感覚があるのかは、頓着しなかったが、とにかくやたらと口から出ていた。
今でもそれは続いている。
それこそ「それで何やねん」だ。
もちろん、年と共にそれは一体どういうことだろう、一体何を感じているのか、何を求めているのだろう、と自分探しはしている。
未だにその答えは出てこない。
答えが出ないのなら、それを持ち続けるしかない。
おぼろげにあるのは、本質的ではない行為や考え方に対しての感覚だろうということだ。
そういった感覚が、自分の中でどう育ったのかは、全く記憶には無い。
ただ、天邪鬼な性格なので、それが一つの引き金かもしれないとも思う。
また「面白くない」と言う場合もある。
いや、この「面白くない」が先かもしれない。
先にこの言葉を持ったのかもしれない。
初めて「全然面白く無いわ」を発した記憶は、ジャズの演奏に対してだった。
「分からない」と「面白くない」が表裏一体だった。
この「分からない」が「で、一体何?」というところから出ている言葉だ。
それは、今から思えば演奏をしているだけで、そこに「人の内面」が全く見えてこない。
人の持つ感性そのものが見え無いからだ。
演奏は上手だが、「それは一体何?」つまり、「演奏が上手」がその人の目的であり、演奏を通して何が見えてくるのか、何を届けたいのかが無い事でもある。
「演奏が上手く出来る事が楽しい」のだ。
いわば言葉巧みに話すのが上手、立て板に水の如く話せるのと同じだ。
そして、その立板に水に心酔している。
「自己満足をしているよ」だけしかこちらには見えてこないのだ。
言葉にしろ話にしろ、また演奏にしろ、それはただの手段でしかない。
伝えたい何かがあるから、それを表す為には、つまり、自分以外の誰かにどうしても、という情熱が手段を選ばせ、誰かに届ける、そこが目的だ。