一寸分かると、分からないことが増える

「武禅」レポートをアップしています
https://www.hino-budo.com/buzen5.html
今回の「武禅」レポートの中に「今回で7回目で、来る度にほんの少し分かった気になり、更に分からない事が、その何倍も現れる」というのがあった。
どんなことでも初めての時は、「分からないということが分からない」状態の筈だ。
それが少し分かるようになると、途端に分からないことが増えてくるのだ。
分かることが増えるのではなく、分からないことが増えるのだ。
それは視点が増えるということで、最初は視点が無い状態なのだ。
人は分かったら終わり、理解したら終わりだと思い込んでいるが、分かった時からしか何事も始まらないのだ。
それは「気付き」も「悟り」も同じだ。
そこが終着点ではなく、そこが出発点になり、何かが始まった時だ。
しかし、大方の人はそこにゴールを求めているから、話はややこしくなるのだ。
この場合で言うと、人間関係の何かが分かった、だから、どんどん分からないことが増えて来た、というようなことになる。
ドラムをやっている時、肝心のスティックの操り方が分からない、どうすれば力が抜けるのか、どうすれば音が抜けるのか、さっぱり分からない。
それを獲得すると、次からは色々な音符やフレーズを叩かなければいけないから、それを工夫していかなければいけない。
となると「どうすれば良いのか?」と、やっと楽器へのアプローチ音楽へのアプローチが始まる、というようなことだ。
今では、音楽教室や学校へ行けば、こういったことはカリキュラムにあるから、自分では自分を問題視しないまま、かなりの演奏が出来るようになる。
それは羨ましい限りだ。
しかし、自分で問題を見つけ、自分で答えを探し求めるという能力は、そこでは育たない。
もちろん、もっと異なったところで、そういった体験をすれば、それはそれで良いのだが、出来るのだろうか?
老婆心が働く。
教室やワークショップでは「教えてくれない」という人が増えている事が不気味だ。
問題を見つけ出す能力が育っていない、ということだから。

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