私は真剣に生きる人の中で生きたい
今回の「武禅レポート」を読み返し整理している。
今までのレポートとは少し違う角度の感想文があった。
「出来た」だの「出来なかった」だのと、自己完結のレポートや研修慣れした上っ面なレポートがある中で、きちんと自分と向き合って、あるいは「武禅」という場を捉えているものもあった。
このブログを読んでくれている皆さん、もう直アップできますから、是非読んで下さい。
一部紹介すると
「でもここに来ている人は誰一人、人を小馬鹿にして笑いません。出来ない人をのけものにしません。出来ないことに取り組んで失敗しても絶対に。憧れの姿がそこにありました。私は真剣に生きる人達の中で生きたいです!」
今回のレポートに目を通し、つくづく「武禅」を続けていて良かったと感じた。
年齢と共に、2泊3日間20名ほどの人達と向き合うのは、本当に疲れる。
しかし、セクションの中でのドラマがあり、人が変化していく。
活き活きとしてくる。眼に光がやどる。
それは極端に落ち込んだ人ほど、その輝きがあるように感じる。
そんな姿を見ると、「よっしゃ、やったろか」と活力が湧く。
社員研修をやっていた頃、アホらしくてやっていられなかった。
受講者におざなりな姿勢しか見ることが出来なかったからだ。
「お前ら死んでいるのか!」
何度怒鳴ったことか。
会社からの命令で受ける研修。
会社が費用を出し受けている研修。
本来なら、それこそ儲けものだから、何か盗んでやろうとなる筈だ。
しかし、そんな気力も無い人達ばかりを相手にして、何でこちらが本気でそれらの人の人生が実りあるものになれば、とやることがほんと馬鹿らしくなり、一切そういった仕事を断った。
いわゆる怠惰な常識しか持たない人を相手にするのに疲れたのだ。
そういった人達を見ていて、歴史はまるで動いていないと感じた。
つまり、権力者と従事者という図式だ。
従事者であろうが個人という人間だ。
であれば、人間的な感性や感覚を研ぎ澄ますべきだ。
権力者は自分の都合でしか人を見ない。
もちろん、素晴らしい人もいるだろうが、それは一握りだ。
歴史はまるで動いていないが、社会は目まぐるしい速度で変化している。
怠惰な常識など、その変化についていける筈もない。
変化に対応できる感性を持っていなければ、「どうしよう」で終わってしまうのが今日だ。
過去に「武禅」を受講した人達、たった1回限りで分かった気になった人達。
分かったと出来る事は、全く違うものだ。
その事に気付いてくれていたら嬉しいのだが。