あいにくの下り坂で
明後日から秋の「武禅」だ。
あいにく、明日から天気は下り坂になるらしい。
昨年の夏の「武禅」は、バスから降りた途端に土砂降りの雨になった。
バス停から道場まで約800mだから、別段歩いても問題はない。
今回の「武禅」では、初参加の人が10人いる。
これは久しぶりのことだ。
そうなると、常連の人達の力が試されることになる。
どんな言葉を使えば、相手がピンと来るのか、そこでの悪戦苦闘が、頭を回転させる。
また、休憩時間をどう過ごすか、そこも「武禅」の一コマだ。
そんなことをリードしていけるのか。
つまり、「武禅」の全体はミニ社会生活なのだ。
まずは「正面からの向かい合い」だ。
頭のセクションがいきなりハードルが高い。
今回は、役者さんも混じっているから、それはそれで興味深い。
人と向かい合うとはどういうことか。
そんな事を、きっと誰も考えたことも無いだろう。
日頃、向かい合っているつもりだからだ。
ブログで時々書く、赤ちゃんは射るような目をしている。
動物達も、間違いなく正面から捉えてくる。
どうして物心がつく頃になるとそれが出来ないのか。
アイコンタクトという言葉は、ある意味で日常では普通にある。
それは、ある状況があり、何かの合図としての意味合いを持つ。
しかし、そのアイコンタクトという言葉以前に、「目はこころの鏡」という言い方が日本にはある。
「武禅」では、こちらを優先する。
つまり、「思う事」ではなく、自分自身が「そうなること」を目指す。
ここだけを書けば、一体何のことなのか?となるだろう。
それは例えば、挨拶という事で言うと、挨拶を「しようと思って」挨拶をするとぎこちなく、相手に違和感を持たれる。
しかし、挨拶をしようという意識もなく、本気で挨拶をすると、相手もそれに反応する。
そういう、やりとりのことだ。
テーマを与えられるから、その事をしようとする。
しようとして「する」という直接行動なら良いのだが、しようとして「しようと思う」という、意識回路を働かせるのが違和感のもとだからやってはいけないのだ。
そういった、日常では注意しないこと、注意し得ないことを稽古することで、克服していくというのが「武禅」の側面だ。
ここだけを見ても、これは表現者というところからいえば、非常に重要な稽古なのだ。
「わざとらしい」を取り払う稽古だからだ。