五感を働かす

ワークショップや教室でよく使う言葉に「流れに乗る」がある。
そうとしか言いようが無いからそういっているのだが、何時も改めてどういうことかを考える。
しかし、一向にその言葉が見つからない。
「感覚」というものの実際を言語化するのが、どれほど難しいものか、それも改めて思う。
そうなると「感覚」とは何?ということにもなる。
五感という言葉があるが、それは単に目に見える器官に対して付けた名称であって、たった5つの器官だけしか情報を集めている筈はない。
これはある意味で、周囲から与えられた先入観であり、その先入観が感覚そのものを誘導しているに過ぎないのではないか、そんなことを考えてしまう。
また、それ以外の感覚があったとしても、それを分別出来る言葉がないから、五感の統合とか、既成の言葉で解決してしまうのだろう。
また、それを違う角度から言えば、五感以外を例外として捉え、例外を排除するという国民性というか、集団意識というか、保守的というか、そういった仲間意識が働く場合もあるだろう。
しかし、例外にこそ本筋が潜んでいるのであって、既成品の中に何かがある筈もない。
既成品の中で何とかしようとしたら、後は理屈をこね回すくらいだ。
「流れに乗る」相手の何かを感じ取って、その中に入っていく。そんな感じだ。
その相手の「何か」とは何か?何だろう?
いずれにしても私には意識の方向性だけしかないから、そういった何かが働くのだろう。
こういった事は考える事ではなく、体験を積み重ねて行くものなのか?
それは違うだろう、とは思う。
ほんと人間とは、複雑なまた理解できないものだ。
理解する必要の無いことなのだろう。

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