例外の中に本質がある
●昨年に続き、二度目になる大阪での講演会です。
「人生を生き抜く智慧・達人の真髄はコロンブスの卵だ」
笑いますよ!
昨年は、直ぐに定員になってしまいました。お早めに申し込んで下さい。
10月26日
http://ilt.jp/extra01/entry.html
●おまたせしました。東京教室が10月5日より再開します。
https://www.hino-budo.com/tokyo.html
●秋の「武禅」11月1,2,3日受付開始しました。
https://www.hino-budo.com/buzen4.html
先日競輪の選手から面白い話を聞いた。
彼は元々BMXの選手で、アメリカで転戦していた。
レース前定番のストレッチをしていると、アメリカの選手達は「お前は一体何をしているのだ?」と質問されたそうだ。
彼らは、レース前にコースを覚えるために数回走るだけで、そのままレースに出るそうだ。
当時は、ストレッチの習慣など無かったのだ。
その調子で北京オリンピックに出場し、優勝した。
ところが、BMXは行ける、と協会は思い、ナショナルチームを発足させ、トレーニングメニューを考え選手を強化した。
その御蔭で、有能な選手は皆壊れたそうだ。
科学の進歩は、機械の進歩でもある。
検査機械の発達が、身体をより細密に分解できるようになった。
科学信仰の間違っているところは、見えていること、数字に現れることだけが正しいとするところだ。
見えていることも数字も正しいが、それが全てではなく単なる部分であったり、結果であったりするだけのことだという考え方が無いことだ。
だから信仰と呼ぶのだ。
それは医療でも同じだ。
人の持つ力。
例えば、幼児の頃からお酒を飲み、80歳を過ぎても1升酒を飲み、未だ肝臓も何もかも元気だというお年寄りがいる。
そういった人は、情報に振り回されていない人なのだが、それを認めようとせず例外にする。
つまり、そういった人は「楽しいからお酒を飲む」という、極々自然な流れに生きる人だが、その極々自然にということは、機械では計測出来ないし数値も作り用がない。
それは先程のアメリカのBMXの選手と同じだ。
彼は自転車でコースを走るのが楽しいのだ。
難コースを攻略するのが楽しいのだ。
だから工夫も練習も我流でやり、楽しさの中に生きている。
だから結果を残せるし、逆に結果を残すことに意味を見出してはいない。
只々楽しいのだ。
つまり、常に例外こそが本質なのだ。
そういった自分の枠、自分の持つ壁、固定観念。
それらを打ち破れるのは自分しかいない。
そこを追求するのが「武禅」だ。