からだを使う

●昨年に続き、二度目になる大阪での講演会です。
「人生を生き抜く智慧・達人の真髄はコロンブスの卵だ」
笑いますよ!
昨年は、直ぐに定員になってしまいました。お早めに申し込んで下さい。

10月26日
http://ilt.jp/extra01/entry.html
●おまたせしました。東京教室が10月5日より再開します。
https://www.hino-budo.com/tokyo.html
●秋の「武禅」11月1,2,3日受付開始しました。
https://www.hino-budo.com/buzen4.html

からだを使う。
どこにでもありそうで、誰もやっていないことだ。
もちろん、どこかにからだを使っている人はいるだろう。
それはきっと、プロスポーツの人達やアマチュアでもトップクラスのアスリートだ。
からだは動くし、動かすことが出来る。
そのことと、からだを使うというのは別物だ。
そのことを明確に分かってきたのは、20年ほど前の事になる。
明確にというのは、言葉として表現できるようになったのは、という意味だ。
私自身はからだを使っていたが、おそらく皆も私と同じようにしていると思っていた。
しかし、その割に成果が上がらない。
試行錯誤の中で、皆はからだを使っていないことを発見したのだ。
だから、そこから改めて、人は何を誤解し、何を錯覚しているのか、どんな固定観念を持っているのか、そんな事を観察しだした。
どんな事でも、一直線で進むことは出来ない。
試行錯誤がかならずある。
しかし、それをよく考えると、試行錯誤で進歩や成長が止まっていると感じたり、思ったりするが、それはあくまでも判断であって、実際自分自身がどんな成長しているのかを、判断する側は知らないのだ。
その事が、自分自身を落胆させたり挫折させたりする原因の一つなのだ。
そんなことも、観察しているとよく見えてくる。
からだを使う。
当たり前のような言葉だが、その実際は恐ろしく難しい。
自分の小指の存在は、小指を怪我した時にしか認識できないのだということを、きちんと認識していないからだ。
からだの事は認識する必要もない、当たり前の事だと思っているからだ。

Follow me!