人と向き合うのが得意な人は稀だ
岡山ワークショップ
9月21.22.23日
http://workshop.digiweb.jp/
「人と向き合うのが苦手で」とワークショップでも聞く。
何を言っているのかさっぱり分からない。
自分は人で、しかも人の社会で生きているのだ。
もちろん、色々な事件に巻き込まれた体験が有り、それをキッカケとしてそうなったのであれば、本当にお気の毒でいたしかたない。
また、私には分からないが、そんな病気があるのかもしれない。
そういった場合を除き、人と向き合うのが苦手、というのが分からないのだ。
逆に、人と向き合うのが最初から得意な人は稀だろう。
大方の人は苦手も何も、それぞれで克服しなければならなかったことだ。
先日の東京ワークショップでもあった。
「一寸と待って、それはないやろ。ではどうして直接人と向き合わなければならない職業を選んだんや?(医療関係)」と質問した。
もちろん答えはない。
そういったことを考えると、つまり、職業を選ぶということを考えると、どうも「職業」というものがあり、それは人の社会の中にあり、当然どんな職業でも自分が人と関わっていかなければならない。
そんな事を抜きにして「職業」というものがある、と思っているのではないか。
と思わずにはいられない。
つまり、職業と自分とは関係なく存在しているかの如くにだ。
そこまで極端では無くても、そこの自覚というか、想像力というか、そういった当たり前の事が、当たり前では無くなっているような感じがする。
医療関係を目指すのは、本当に素晴らしいことだ。
医療を介して、人の幸せであるとか健康であるとかに貢献しようという気持ちは素晴らしいことだ。
しかし、貢献する為には医療の技術もさることながら、そこには人との関わりという、もしかしたら技術よりも大事な事があるということを知らなさすぎるのだ。
例えば、ここで書くように「人と向き合うのが苦手」な人が医療従事者だとして、患者さんと向き合ったら、たちまち患者さんは緊張する。
そうすると、それだけで治療に支障をきたすことになる。
しかし、そこには立場があり、患者さんは医療従事者に嫌われないようにという無意識的な働きがあるので、「何や、こいつ気持ちの悪いやつやな」とか「気分の悪いやつやな」とは、決して表には出さない。
それがまたストレスを生み、ますます治療そのものの効果が上がらなくなるのだ。
学校でも職場でも、そういった目に見えないところを指導しない。
あるとしたら、言葉面だけだ。
もしも、自分が「人と向き合うのが苦手」だと思うのなら、積極的に挨拶を交わしたり、親しい人と雑談をしたりして、そこを克服して欲しいものだ。
昨年に続き、二度目になる大阪での講演会です。
「人生を生き抜く智慧・達人の真髄はコロンブスの卵だ」
笑いますよ!
昨年は、直ぐに定員になってしまいました。お早めに申し込んで下さい。
10月26日
http://ilt.jp/extra01/entry.html