周りは、煩わしいことだらけだが

岡山ワークショップ
9月21.22.23日

http://workshop.digiweb.jp/
ワークショップで役者さんと話をしていて、不思議に思った事があった。
稽古の厳しさだとか、リハーサル色々と現場では起こることがある。
もちろん、役者そのものと全く関係がないような仕事もある。
そういった雑事に追われたりすることもある。そんな事が続くと体調を壊してしまうという事だ。
何が不思議なのかというと、自分の好きなこと、あるいは、やりたいことを選んでいて、しかもそれを実現しているのに、何を愚痴っているのか、という不思議だ。
その役者の話を聞いていて気付いたのが、「自分の中に基準を持っている」という事だ。
自分の外に基準がある、というのは、自分が役者になりたいと思った時、モデルがあったり、憧れがあったりする。
もちろん、それが無くても何かのはずみで、役者になりたいと思うこともある。
しかし、実際役者見習いというか、研修生というか、何かしらの入り口を踏みその世界に入る。
その瞬間に、「役者になりたい」という思いや夢は現実のものとなる。
その現実のものとなった時点で、「役者というのは」と目の前の現実、つまり、稽古やリハやそれ以外の事が振りかかる。
それを自分の求めるものの現実だとして捉えなければいけない。
その作業を抜かして、思いと夢の中に有る役者を求めているということだ。
それが、「自分の中に基準を持っている」ということになる。
そうなると、自分の枠内以外のことに出くわすとストレスになる。
体調を壊して当然だ。
という話をした。
いくら好きなことでも、そこには煩わしい事が沢山ある。
逆に言うと、煩わしい事の方が多いかもしれないくらいだ。
しかし、それを煩わしいと思うのか、そこに何かを見いだせるのか、あるいは、何でもやったろ、と思うのか、面白いと楽しめるのか。
それが分かれ道となる。
自分の枠内だけが世界だと思っている人は、煩わしい以外の発想は持てない。
であっても、意味なく「やってみよう」と思えれば、それが枠を踏み出す入り口になるのだ。
但し「意味を求めずに」である。
昨年に続き、二度目になる大阪での講演会です。
「人生を生き抜く智慧・達人の真髄はコロンブスの卵だ」
笑いますよ!
昨年は、直ぐに定員になってしまいました。お早めに申し込んで下さい。
10月26日

http://ilt.jp/extra01/entry.html

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