ショートカットはリセットと同じ

東京ワークショップ
9月12.13.14.15.16日

https://www.hino-budo.com/2014TokyoWS.htm
尾張柳生流を伝承する春風館の加藤一三男館長と、お話をさせて頂いた事がある。
雑誌の取材だ。
「一刀両断/合し打ち(がっしうち)」柳生連也が考案したという鍛錬法を動画で見て、興味を持ったのだ。
興味というのは、そこで鍛錬すべき事が「相手と立ち会う」ということの本質を見出す鍛錬ではないか、と直感したからだ。
もちろん、柳生連也が考案した、ということにも引っかかったからだ。
どうして「合し打ち」という形を作らなければならなかったのか。
という引っかかりだ。
春風館道場では加藤館長から、丁寧な説明を受けながら、動画で見た合し打ちを見せてもらい、体験もさせて頂いた。
直感した事に間違いはなかった。
シンプルな形だからこそ、本質を練り上げる事が出来る。
そのセオリー通りで、体の全て、エッセンスが全部詰まっていた。
私のワークショップでやるワークも、シンプルな動き、形ばかりだ。
でなければ、身体を感覚する、という側に意識が向かないからだ。
ただの運動になってしまうのを避ける為に、一見誰にでも出来そうな単純な形に、そして動きにしているのだ。
私は加藤館長の動き、姿から合点がいった。
体重の移動による体重の力化、ブレナイ意志や意識。力みの無い身体。腰が消えた身体。
運動線の正確さ。
色々勉強になった。
私自身が独学で探求してきたものに、当たらずとも遠からずだった。
三学円太刀という型も拝見した。
また、こねり打ちという柳生独特の刀法という紹介があった。
正眼での中段の構えから、一度八相のような形になり、そこから一気に相手の小手に切り込む。
その後、その変化を沢山披露して頂き、改めて、型というものの重要性を知ったのだ。
何を言いたいのかと言うと、加藤館長の変化時の速さは、それこそ目にも止まらないものだ。
しかし、それは「早く」を稽古したのではなく、ゆったりと大きな動きをしっかり身に付けているからのものだ。
という事が加藤館長の動きから如実に分かった。
これは嬉しい収穫だった。
大方の人は、加藤館長のような早い動きをみると、どうしても「早い動き」をやりたくなり、早くなる為の練習をしてしまう。
そうなれば、その早い動きは出来たとしても、その動きの中身としての要素は消えてしまう。
それは力が出ていない動き、気配だらけの動きで終わってしまうのだ。
道は遠く険しい。
それは昔日の物語や逸話の中の話ではなく、現実として遠く険しいのだ。
それは、どんな事でも同じだ。
ショートカットすれば、リセットされたのと同じでゼロに戻るのだ。
もちろん、ただゆったりと稽古をしていても早くはならない。
そこに加藤館長個人の工夫、奥伝があるのだ。
岡山ワークショップ
9月21.22.23日

http://workshop.digiweb.jp/
昨年に続き、二度目になる大阪での講演会です。
「人生を生き抜く智慧・達人の真髄はコロンブスの卵だ」
笑いますよ!

10月26日
http://ilt.jp/extra01/entry.html

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