身体知的遊び
4月28.29.30.5月1日京都ワークショップ
詳しくは
https://www.hino-budo.com/2014KyotoWS.htm
正確に行う、という習慣は、技術畑の職業を歩いて来たからだ。
といっても、それは科学者のようなものではない。
どちらかというと職人的な仕事だ。
だから、人というのは、限りなく成長するし、可能性も無限にあると実感出来るのだ。
俗にいう集中力なる言葉も、この技術というものに対して、強烈に発揮される。
その意味で、私は果てしなく集中力は高いと思っている。
そして、意識の切り替えも早い。
それは、先日雑誌の特集で、脳波を測定した時に知った事だ。
相手と向かい合い(生徒)、お互いに攻撃を仕掛けるという実験だ。
その攻撃に対処する時、脳波はどう動くかというものだ。
私の場合は、全く日常と同じくらい脳波がブレない。
一方生徒の方は、私の攻撃の度に脳波が揺れていた。
問題は、その後だ。
その実験が終わり2分間の休憩を取る。
その瞬間に私は休憩の脳波になっており、生徒は中々そうはなれなかったのだ。
別段、それがどうした、というような事なのだが、私自身は切り替えがうまい、と思っていたのが脳波もそうで、それが客観的に証明されたのが面白かったのだ。
技術に取り組むというのは、そういった副産物を伴うのだ。
私のワークショップは、身体技術を養っていく。
特に感覚を養う。
日頃目を向けない自分の身体に目を向け、感覚していくという作業が主だ。
「感じて下さいね」と指示をだすと、しばらくしてから「分かりません」という言葉が返ってくる事が多い。
それは「感じなければ」と意識を働かせるからだ。
感じるというのは、そういった意識が働いていないから、あるいは、意識を働かせないから「感じる」のだ。
その意味で、意識、つまり、自分の意識との勝負になるのだ。
また、感じるというのはかすかなものなのだ。
だが慣れていない人は、熱湯を触る如く実感の有る事だと誤解する。
だから、かすかな感覚を逃してしまうということもあるのだ。
そういった、自分自身の煩わしさを体験するのも面白いのではないでしょうか。
さすが連休だけあって、まだ空きがあります。
身体知的遊びに来て下さい。