声を聞き分ける
4月28.29.30.5月1日京都ワークショップ
詳しくは
https://www.hino-budo.com/2014KyotoWS.htm
他人に話していると自覚している人の声は締まっているが、自覚の無い声は音だからだらしがない。
拡散するし、音の輪郭が鋭くはない。
丁度私くらいの年の人の会話を聞いていると、その人の人生が見える。
もちろん、霊能者的見えるではない。
その人の人生に他人が存在したのかしないのかだ。
だらしの無い音が散乱しているのを聞くとがっくりくる。
演劇や歌で発声練習をした人の声は締まっているし、言葉の輪郭が鋭い。
しかし、だからと言って声になっているのではない。
他人に、という自覚が無い限り、どこまでいっても音でしか無い。
但し、自覚は知識や思いでは無い。
自覚は自覚だ。
それが無ければ、その音が身体に当たると痛い。
独り言の音は、どこまでいってもやかましいのだ。
そういった事を選り分ける感覚は大事だ。
ワークショップの「表現塾」は、そういった事にアプローチする。
見る、聞くを通して、選り分けられる感覚を磨くのだ。
理解するのではなく、身体で感じる能力を養うのだ。
もちろん、これは特殊なことではない。
日常も同じだからだ。
0回「武禅一の行」レポートをまとめました。
https://www.hino-budo.com/buzen5.html