自分の言葉に違和感を
4月28.29.30.5月1日京都ワークショップ
詳しくは
https://www.hino-budo.com/2014KyotoWS.htm
お彼岸の終わりと共に、武禅は終了。
連休最終日らしく、少し混雑したバスに皆が乗り込んで帰路に着いた。
過去最高の20人が参加しての武禅だったが、常連達が多く、また10年ぶり、また7.8年ぶりの懐かしい顔もあったので、スムーズに行は運んだ。
そして、参加者全員が好きになる「なまむぎ」は、近頃にない迫力のあるものだった。
良い意味合いでの調子に乗った感じだ。
それを契機に一気に、それぞれの行は弾んでいった。
完全に一皮剥けた人も現れた。
それくらい日常的でありながら非日常の世界がこの「なまむぎ合戦」だ。
その勢いの中、打ち上げの宴会も盛り上がった。
バカになれる。
日常との落差が大きければ大きいほど、人の魅力だ。
その熱気に煽られて、大方の人は自分の壁を壊していった。
自分の垂れ流しの「言葉」に違和感を持てた。
大方の人は声ではなく音だ。
それはイメージ的なものではなく、実際だ。
そんな体験をし、全員愕然とした。
意思の無い会話をするな!
行は、行の間だけではない。
全時間行だ。
また、真剣に取り組んでいるからこその笑いも出る。
深刻と真剣とは違う。
そんな話をワークショップでも、教室でも繰り返す。
深刻になるというのは、単に時間を止めているだけだ。
あるいは、自分の殻に入り込んでいるだけ、自己満足だ。
それはクセだから、それに気付かなければ、修正することは出来ない。
自分の殻に入ったままの人間が混じっていると、それだけで雰囲気が壊れる。
という事に気付かないから、殻に閉じこもっているというのだが。
そういった人は往々にして、場違いの発言をする。
流れを止めてしまうのだ。
熊本、沖縄、仙台と日本の遠方の人。フ
ランス、カナダと海外の人。
それぞれがバスを降り、東京なり大阪なりの人混みに入った時、日常を過ごす人達の生気の無さや、感情の無さ。
人間離れした気持ち悪さに気付く。
その波に飲まれないようにするのが大変なのだ。
だから、日常こそが行なのだ。