ほんものの
傘寿のお祝い。
何のことかと言うと、私が還暦の折、20数年ぶりにソロ・ドラムコンサートをした。
その時に、ゲストで出演してもらった田中武久さん(ピアノ)が、今年で80歳になったのだ。
(簡単な田中さんの略歴:http://rifftide.exblog.jp/13307959 )
80歳で現役のジャズピアニストであり、ジャズバー「セント・ジェームス」のオーナーだ。
容貌が俳優の田中邦衛さんに似ていることから、よく「田中邦衛です」といってお客さんを笑わせてくれる。
亡くなったジャズドラムの大御所、エルビン・ジョーンズが田中さんに惚れこみ、ニューヨークでレコーディングしたり、来日する有名ミュージシャンが田中さんと一緒に演奏したくて店に来る。
いわゆる、知る人ぞ知るジャズピアニストなのだ。
エルビンが生前来日した時、田中さんの店でライブが行われ、一番の前の席でほんもののバトルを堪能させて貰った。
田中さんとは不思議な縁がある。
と言っても、「なんやそれ」なのだが。
まずは、私がコンボジャズだけではなく、フルバンドや、ラテンなど異なったジャンルを勉強しようとしていた時期のことだ。
有名なラテンバンドに入り、関西屈指のナイトクラブ「アロー」に出ていた。
そのバンドを作ったのも、曲を提供したのも田中さんだった。
そして、そのクラブアローのメインバンドのアロージャズでピアノを弾いていた。
また、私がフリージャズに傾倒し、スタンダードなジャズの仕事は殆どしなかった時期がある。
時間があるので、後輩のバンドによく遊びにいった。
そんなバンドの若いドラムに、これを練習しろ、とか、リズムの話など、勝手に教えていた。
向こうにすれば、先輩だから聞かなければ仕方が無かったのだ。
そんなドラマーの内、2人が田中さんのバンドに入った。
スタンダードの世界では、田中武久という名前は売れに売れていたので、もちろん私も名前は知っていた。
しかし、フリージャズの世界とは全く関係ないので、雲の上の人という印象だ。
それから数十年後。
関西の歯科医師達を研修し、2次会にと誘われたのが、「セント・ジェームス」だった。
ジャズを聴くのは久しぶりだった。
ドアの横に「本日の出演者」と書いてあり、そこには私が押し付け指導したドラマーの名前があった。
驚きながら中に入ると、軽快な4ビートが流れ、あの田中武久が演奏していた。
「ああ、こんな音だったのか」と当時の雲の上のピアニストとの思い出と重なった。
当節の、押し入れミュージシャンではない。
音が観客に向かってくるのだ。
この心地よさは何とも言えない。
確かに、観客に向かって弾いてくれているのだ。
そして、ドラマーは東原力哉だ。
浪速エキスプレスのドラマーだった。
彼を始めてみたのは、彼が10代の頃だ。
友人のアルト奏者から、若いけど凄いドラマーいると紹介されたのを思い出す。
力哉が私を見つけ「アキラさん!久しぶりです」と、終演後抱きついてきた。
力哉に田中さんを紹介され、そこからのお付き合いになる。
大阪の稽古の後や、機会があるごとにお店に顔を出し、田中さんからジャズの味付けを聞くのが楽しみなのだ。
当時は、フリージャズを徹底的に追及していたので、スタンダードジャズの魅力を知らない。
だから、田中さんの話は何から何まで、当時の何かを埋めてくれるのだ。
私の還暦の時、田中さんに一回一緒にやってください、と頼むと、こころよく引き受けてくれ、私としては豪華なコンサートになった。
その田中さんは、昨年演奏中に心筋梗塞で倒れた。
運よく、お客さんの中にお医者さんがおり、事なきを得たのだ。
たまたま、店に顔を出した時、田中さんが留守でトラのピアニストが、座っていたのでそのことを知ったのだ。
それからまもなく復帰し、以前よりも深い音を聴かせてくれる。
大阪の人、大阪に仕事で行く人、ジャズを知らない人でも、充分に楽しめる田中さんのピアノを堪能して欲しいと思います。
大人の雰囲気のお店がお洒落です。
是非、一度足を運んで下さい。
セントジェームス http://www7.ocn.ne.jp/~st-james/