気付いた事だけが自分の力
「言われたからやっている」という状態がある。
もちろん、その前段階にそれぞれに状況がある。
例えば、上司に言われたから、例えば教師に言われたから。
それぞれ、千差万別の状況があるだろう。
しかし、言われたからやっている、状態から、やっていることは何か、と気付くに進化しているだろうか。
言われたことをやっている状態では、自分が一体何をしているのかを知ることが出来ない。
いわばロボット状態だ。
それを何十年続けたところで、何一つ得るものは無い。
言われた、それが出来るだけだ。
やっているだけ状態が続いただけだ。
つまり、知恵は生まれてこないということだ。
そして、もちろん応用等出来る筈も無い。
ということは、年齢というものと自分の頭は比例しないということになる。
「若く見えますね」ではない。
その意味において、昨日のK君の自分のやっている事の中で気付いたのは、大切な事だし素晴らしいことというのだ。
どんな身近なことでも、誰でも知っているようなことでも、改めて自分が自分で気付く。
その気付いた事しか、自分のものではないのだから。
ワークショップでも、教室でもとりあえずは「言われたからやる」から入る。
しかし、言われている事が難しいので、言われてもその場では出来ない、理解しても出来ない状態になる。
だから、言われた事をやる、に辿り着くまで相当時間がかかる。
しかし、やり続ければいずれ出来る。
但し、出来た時には、今までの自分ではなく、成長した自分があるのだ。
やり続けようと思えば、色々な動機が必要になる。
それも生み出さなければならない。
また、言われた事を考えなければならない。
どうして、これをやれと言われたのか。
やったらどうなるのか。
そういった、身体と頭との組み合わせが、自分自身を成長変化させるのである。
その意味で、私のワークショップや教室は、身体よりも頭が疲れる。
京都のワークショップはゴールデンウイークの入り口だ。
どこかへ行って遊ぶもよし、ワークショップで身体と頭を遊ばすのは尚良しだ。