自分の力で

大阪教室のK君が「一寸走っていた時、肘が振れているのと、いないのとの差を発見したが、何を今更だった」と大笑いしていた。
しかし、これは凄く大切なことなのだ。
走る時には腕を振る、というのは定説だ。
だからといって、その事を実感した人、検証した人は、どれ程いるだろうか。
大事なことというのは、「自分が発見した・気付いた」という点だ。
自分が気付いた事は、死ぬまで忘れない。
しかし、聞いたこと知識として知った事というのは、自分自身の実際と密接な関わりが無い限り、右から左へ抜けてしまう。
そして、その事は役に立てようがない。
私の話を聞いても仕方が無いよ、と何時も言う。
話を聞いても意味が無いのだ。
それよりも、その話から何を自分が自分の身体で検証していくのか、が大事だからだ。
話として聞けば、「聞いた、為になる話だった」で頭だけの完結で終わってしまう。
もちろん、そういう事が好きな人はそれで良い。
私の話は、私が獲得したものだ。
だから、私の言語になっている。
その意味では、誰にもその実体は分からない。
走る時に腕を振る、ということを知っていても、そのことを「確かにそうだ」と実感できなければ何も分からない。
実感した人だけが、その言葉の隙間や行間を埋めることが出来るということだ。
最近K君の発見は多い。
それこそ、何かが止揚したのだろう。
後は、どんどん気付きが増えていく。
どんな些細なことでも、自分の力で獲得する。
それこそが、生きている意味というものだ。
京都でのワークショップも、そんな人で一杯になって欲しいものだ。

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