五輪には魔物がいた

昨日東京へ来て見て驚いた。
山よりも沢山雪が降っていたからだ。
事故が沢山あって当然だ。
「五輪には魔物がいた」先日羽生選手が、日本人で初めてフィギアスケートで、金メダルを獲った。
そのコメントの見出しだ。
我々、そういった大舞台に縁の無い人間には、それを想像する事すら出来ない。
しかし、ロシアの15歳、ユリア・リプニツカヤ選手には、そういったプレッシャーもあったのかは知らないが、画面で見る限りそういったものは感じられなかった。
恐ろしきは「意識」だということだ。
羽生選手も「自分に負けた」という言い方をしているし、こんな場面でのコメントでは、この言葉が多い。
意識が暴走を始めるのだ。
コントロールしようとすればする程歯止めが利かなくなるのだ。
意識の持つ性質だ。
時代が東西二極化時代の、東側諸国。特にソ連は、オリンピックでも強かった。
つまり、この意識をコントロールする術を選手に講じていたのだろう。
それは、オリンピックのプレッシャーよりも強いプレッシャーを持ってきたのだと考えられる。
例えば、一生働かなくても良い待遇を得られるとか、という飴だ。
「プレッシャーは全くありません」と語る、体操の内村選手もロンドンオリンピックでは、良い成績を残せていない。
それは、本当に体調が悪かったからかもしれないし、身体のどこかに悪い箇所が有ったのかもしれない。
もしかしたら、プレッシャーがあったのかもしれない。
それは本人以外は分からないことだが、あれ程世界をトップで走っている選手でさえ、結果としてオリンピックでは良い成績を残せていない。
もちろん、こういったプレッシャーは、スポーツ競技だけにあるものではない。
人生いたるところで待ち構えている。
それは意識の産物だからだ。
目に見えないものだからだ。
意識に捕まり、意識の暴走の中に巻き込まれる。
それがパニックだ。
自分の外には何も理由はない。
外のモノ、つまり自分の外に起こる現象を取り込むのは意識以外の何物でもない。
意識を制する者が、自分を制する。
永遠のテーマだ。

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