特養の研修

今日は定例の、特別養護老人ホームでの研修だった。
指示は明確に簡潔に、これをテーマに行った。
簡単そうで、また単純そうで、相当奥の深いテーマだ。
指示を出した、と思っている、指示を出せたつもり。
指示を聞いたと思った、指示をきけたつもり、という、厄介な問題がそこにあるからだ。
では、どうすれば、それらを確認する事が出来るか。
誰が確認するのか。
確認出来る実力が有るのか。
そんな問題も潜んでいる。
それらが、まったくなくフラットな状態で、指示は相手に届くと盲目的に信じていることが、それらの問題を浮き彫りにするのだ。
ここには、社会体験という、学校では習わない、習えないものが必要だ。
もちろん、今日の研修相手は、ホームの役職連中だから、その意味での社会体験はある。
しかし、ほんとにあるのか、と問えば、社会で生活をしている、ということと同じ程度の体験だろう。
つまり、体験しようと思えば、体験するべき目的意識や感性が必要だ。
それの多くは、閉ざされたままの人が多い。
だから、社会体験と一口では語れないのだ。
ホームはかなり大きな組織なので、組織的約束や、組織ならではの縦割りの構造がある。
だから、現場の不確定な動きに対応するのが遅れることも出て来る
その構造をすみやかに壊し、働きやすくお年寄りの居心地が良いホームにすること。
それが第一の目的だ。
女性の長たちは、目の付けどころが男性とは違う。
簡単に言うと、ちゃんと目が配られているのだ。
そういった有能な女性達を、もっともっと有能にし、長にしていかなければ駄目だ。
そんな話を女性達にすると、「どうして女性なのですか」と質問があった。
それは男性に比べて世間が広いからだ。
だから、気配りが出来るのだ。
もちろん、ポットでの頭優先の女性ではない。
現場で、それこそ沢山の体験をしている女性のことだ。
そんな女性がどんどん表に出てくれば、構造改革など一瞬だ。

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